読谷村史編集室 読谷村の出来事を調べる、読谷村広報データベース

1977年11月発行 広報よみたん / 11頁

読谷山万事始 その1 ““とよむよみたむざ”” 都屋382 渡久山朝章

読谷山万事始(ゆんたんじゃよずごとはじめ) その1 ““とよむよみたむざ”” 都屋382 渡久山朝章
 今号より「読谷山万事始」を連載します。
 執筆者は渡久山朝章氏です。渡久山先生は現在喜名小学校教頭。そのいそがしい中を「読谷山万事始」の執筆をお願い致しました。
 連載にあたり、まず第1回目は「とよむよみたむざ」以後「港のはじまり」「学校のこと」「役場のこと」「運動会のこと」等について連載を企画してございます。どうぞお楽しみに。
 尚、渡久山氏は村歌の作詞者でもあります。

 「よみたん」何んと温く、耳に快くひびくことばであろう。
 那覇から北上して読谷に入るとまず目に入るのは右手の高い山、矢倉岳こと読谷山岳であろう。その裾野に続く谷や山、それを読んで(数えて)行くから読谷山といったのだろうかと勝手に想像を遅しうする。私は戦前、戦後を通し産業、教育、文化その他多くの面で他市町村の魁となり範となったこの村の郷土とすることを幸せとし誇りに思う。
 さて、標題の読谷山万事始、ヂイサン、バアサン、ウスメー、ハーメー達から聞きかじったことをもとに、忘れかけていたことどもを思い出し、書き並べて見たい。誤りの説は御指摘いただき、皆で正しい読谷山万事始にしていただければもって幸甚の至りである。
 まずは始めに村の名から始めよう。
 古流球の長編叙事詩として今や全国にもよく知られるようになって来た「おもろさうし」には、読谷のことが「よんたむざ」或は「崎枝」と見えている。崎枝とは本村が半島状に海中に突出していることから来たのかも知れない。混効験集には「をきょた」と書かれているというし、袋中上人の琉球往来記には「四方田狭」とも残っており、これは「よもたんざ」と読ませているようである。その他に「ウフニシ」とも呼ばれ「阿普尼是」または「阿普礼大西」で一表したものもあるという。これはどうやら中山国の勢力圏内で最も北の方ということで「ウフニシ」つまり「大地」としたと思われる。(北のことは方言でニシ)この「大西」に対して「仲西」という地名もあるが、これは当然、玉城から中の北(ニシ)ということだろう。そして降っては「おもろさうし」から来た「よんたむざ」又は「よみたもざ」に読谷山の漢字をあてたものと思われる。
 ここで、グシユウヨー冒頭に書いた谷や山を読む(教える)ということは全くナンセンス、根拠のない荒唐無稽なものと御笑殺いただきたい。
 戦後になってわが村からの村名変更申請を沖縄知事は沖縄民政府指令第二八一号(一九四六年十二月十六日付)によって認可し、読谷村となり、今日に至ったのである。
 ここで、私たちは今一度「おもろ」の昔にかえってありし日の我が村を想像しよう。
  一きこゑ、よみたむざ、おましやげ、みあぐでだりす、はりす、ちやれ。
  又とよむ、よみたむざ
  又かみの、ふね、ももおうね、
  又下のふね、やそ、おうね。
「名高く鳴りひびく読谷山を拝し尊び敬って、ほんとに船は走っていることよ」という意味である。まことにきこえ(名に聞こえ)とよむ(鳴り響く)読谷ではないか。

※写真は原本参照

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