読谷村史編集室 読谷村の出来事を調べる、読谷村広報データベース

1978年4月発行 広報よみたん / 4頁

平和と民主主義、人間尊重の村政を基調に 昭和53年度施政方針 村長山内徳信 社会福祉の増進のための施策 生活環境の整備に関する施策 地場産業の育成強化に関する施策 読谷飛行場用地問題の解決促進について 返還軍用地の跡地利用の問題解決について

〔219号2・3ページの続き〕

児童福祉の増進の一環として今年から新規に「一歳半検診」を実施致します。その日的は、運動機能、視聴覚等の障害、精神発達障害をもった児童を早期に発見し、適切な指導を行い、障害の進行を未然に防止するためであります。
社会福祉法人「比謝川福祉会」わかたけ保育園が四月一日を期して認可保育園として出発することになり、村立保育所と同様な形で措置されることになります。村といたしましては、児童福祉の増進のため、今後とも無認可保育所に対しては許可を受けるよう行政指導していく考えであります。
 社会福祉協議会は、組織の強化と「地域に根ざした付民ぐるみの福祉活勒」を目指して努力がなされてわりますが、本年度は更に活動が充芙強化されるよう助成指導していく考えであります。

生活環境の整備に関する施策
 生活環境の整備は、明るい住みよい付づくりの基本的条件であり村民の文化的生活向上のため重要な事業であります。
 人間生活に欠くことのできない水の問題については抜本的に解決すべく鋭意努力を続けてまいりました。長年の懸案でありました北部一帯への配水管布設工事が竣工したことによって水道施設はかなり改善されてきました。今年度は尚一層の施設の整備拡充を図るべく「南部地区配水管改良工事」と座喜味城跡北方に配水池を建設し、増大する水需要に対応する計画で事業を進める考えであります。
 住民生活の根幹である道路を整備し、生活環境を整えるため、今年も引き続き道路の整備事業を計画的に進めてまいります。
 村道改良舗装工事として、波平~都屋線、火葬場線、波平~座喜味城線、浸水被害防止と生活環境の整備としての排水路改良工事として、伊良皆~大湾排水路、喜名排水路の工事を進めてまいります。
 新年度から都市計画事業の一環として、児童公園二ヶ所を設置し、児童の夢を育て、健康で文化的な村づくりに資する計画であります。
 トリイ通信施設復帰先地公共施設整備事業、いわゆる渡具知部落の復旧事業は、区民の長年の願いでありましたが、五二年度の調査設計に引き続き、新年度は集落としての基本施設である道路、水道、排水路等の整備事業を進め、住民生活の安定を図ってまいります。
 復帰後、一国一方式という国の条約にもとづいて行われる交通方法の変更は復帰後の最大の難事業であります。昭和五三年七月三○日を期して変更されるわけでありますが、国の事業とはいえ、これに対応する方策として村民への広報指導、児童生徒への安全教育、さらに交通安全施設等の整備を計画すると共に交通安全街頭指導等必要な措置を講じ万全の態勢を整えて対処していきたいと思います。
 し尿処理につきましては、中部五市町村の一部事務組合でし尿処理場の建設準備を進めているところであります。
 本村は昨年四月一日、消防組織法に基づいて政令指定消防を受け、消防力の強化、消防行政の充実を図ってまいりましたが、それは今年まで引き続き行われます。本年度の計画は防火水槽五基、消火栓十基、救助工作車一台、消防職員増六人等、一段と消防行政を充実強化することによって村民の生命、財産を守るよう努力する考えであります。

地場産業の育成強化に関する施策
 読谷村の代表的な地場産業として「読谷山花織」がある。これは、読谷壺屋焼と共に沖縄の伝統工芸品であり、読谷村のみならず沖縄県民のかけがえのない共有財産でもあります。
 花織については通産大臣によって伝統工芸品として指定され、県内外から注目されており、今後ともその発展の為、助成を続ける一方、国・県に対しては離島振興特別措置法によって実施されている先島と同じように、沖縄本島に対しても後継者の育成、技術技法の改善、産地基盤の整備等、国・県の補助策が実現できるよう今後とも働きかけていく考えであります。
 一方。「焼物」については、本村はかって南蛮文化の入口として栄えた地であり、那覇の壺屋焼以前にすでに読谷村喜名に「喜名焼」があった。ところが琉球王朝によって、那覇の壺屋に移転統合せしめられた。
焼物、即ち陶器は元来、生活容器として造られてきたが現在、民芸ブームや観光ブームの中で土産品としても造られるようになった。世の中が落着けば落着く程、人間は価値あるもの、真なるもの、いわゆるその本質的な物を求めるというのが常であります。我々は、読谷村の将来の発展を展望する中で登窯の復活によって沖縄を代表する「焼物」を読谷村内で造っていきたい。その為に、ヤチムン村の位置づけをしていきたいと思います。その実現によって、かつての那覇壺屋の盛況が、ここ読谷村で活況を呈することになります。その結果、本村の繁栄に大きく寄与し、人間性豊かな環境、文化村の内実として発展するものと確信するものであり、村民各位の御理解、御協力を賜りたいと思います。

読谷飛行場用地問題の解決促進について
 読谷飛行場問題については、既に十二年前の昭和四一年以来解決の為の調査活動がはじまり今日に至っている。解決に向けての地元側の組織体制は出来上り、昭和五一年以来、地主会、読谷村議会、読谷村が三位一体となって協力に返還要請を続けてきたところであります。
 昨年三月十七日国会(予算委員会)で福田首相は近江議員の質問に対し「指摘された点は調査し、消す必要のあるものは(国有財産台帳から)消す」と答弁した。これを受けて関係省庁はこの一年間調査を実施してきた。これに対し地主会も当時の状況、事実関係を更に調査し政府に対する要請が実現出来るよう強力な態勢を整えております。
 読谷村は、戦後処理の極めて重要な問題である読谷飛行場問題が早急に解決するよう今後とも地主会と相提携し、主体的、積極的に取り組みを展開していく考えであります。大切なことは、この問題がひとり地主会だけの問題ではなく、全村民の問題としてとらえ、村民が一致協力していくことによって早期解決への道が開けるものであり、今後とも村民各位の積極的な御協力をお願い申し上げます。

返還軍用地の跡地利用の問題解決について
 返還軍用地の地籍調査の問題につきましては、関係地主の積極的な協力によって殆んど終了し、トリイ通信施設跡地の地籍調査は、昭和五三年一月三一日付で総理大臣の認証手続きを進めることになります。
 これからの大きな課題は何んといっても跡地利用をどのように進めるかであります。跡地利用についてはどうしてもぎょうせいのみでは進められない問題が含まれております。行政側は行政の立場からリードし指導することが当然であるが、地主会としても重要なことは、将来への展望に立って検討しつつ、日本経済の今日的状況と、その中における沖縄の状況を的確に判断し、

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