読谷村史編集室 読谷村の出来事を調べる、読谷村広報データベース

1978年5月発行 広報よみたん / 2頁

若さで行動を起す山内村政 村民との対話で村民本位の村政を築く 山内村長4年の歩み

 昭和四九年七月「憲法の理念」を力強くかかげ、信望と期待を一身に受けて村治第十七代村長として就任した山内徳信村長はあれから四年たちました。
 山内村長は歴代村長の中で最も若く、かつ行動力旺盛な青年村長として村民から大きな期待が寄せられ無投票当選をなしえた。時に当時三九歳という青年村長の誕生であった。
 村民の期待を一身に担い決意も新たに初登庁したのが昭和四九年七月二十三日午前九時三〇分のこと。役場では新村長を迎えるべく諸準備は万端整い、さっそうと登庁する山内村長を全職員が万雷の拍手で出迎え就任第一日目を迎えた。
 時の社会状勢はドルショックや石油ショックが相次いで起り、それに伴ってインフレと不況それに雇用不安等の著しい社会不安の時代であった。さらに村政においては、戦後処理の問題、返還軍用地の転用計画等困難極りない幾多の問題が山積していた。こうした困難な諸々の問題をかかえていた中で山内村長は教育畑から未知の地方行政へ一八○度転換され「村民のくらしを豊かにする行政」「教育、文化を高め健康で住みよい環境づ

くり」を目指して骨身をすりへらす思いで昼夜の区別なく精力的にとり組み、村政の発展を目指して奮闘してこられた。
 その中で村民本位の村政を築くべく基本姿勢として
①、憲法を守り、いっさいの戦争政策に反対し、反戦平和を確立する。
②、政治の中央集権化を排し、真の地方自治の確立と村民福祉を最優先する。
③、基地経済から脱却し、公害のない平和経済の開発をすすめる。
④、教育・文化・スポーツの民主的な発展をはかる。
⑤、社会福祉施設を充実させ、村民のくらしと健康を守る。
⑥、農業、水産業を振興して農漁民の生活を豊かにする。
⑦、中小零細企業を守り、伝統的な地場産業の振興をはかる。
 以上、七項目の基本方針をかかげて村政を進め、これらの七項目を貰いている精神は憲法の理念であり、これを村政に活かし、基本的人権を尊重し、平和を守り、民主主義を発展させ、村民主体の自治の確立を目指し文化的で豊かな生活を保障する村政の実現に向けて努力を重ね、着実に一歩一歩あゆみ続け、今日の読谷村の姿へと躍進してき

 このように「山内村長」の若さに見られるバイタリティ的行動力は他に類のないものがあり、昼夜を問わず精力的に行動する山内村長はまさに「人間機関車」

の代名詞がつく程である。
 山内村長の各種団体等会合におけるあいさつは「徳信節」で知られ、実現性があり、村民に勇気と希望を与えるものとして好評であり、村民と共に歩むという村政の基本理念をつらぬき通している。
 また、県、国、米軍サイドに対する陳情、要請活動等においても時としてトンボ返りで精力的に行動を起し関係省庁では「読谷村長・山内徳信」でその名は知られている。このことは行動する「沖縄の山内徳信」としてその精力的な行動力は国、県サイドで高く評価されている。
 こうした名物村長で知られる山内村長の過去四ケ年の実績の裏付けは村の予算が示す通り(広報No.219号参照)であり、就任当時に比較して今年度予算は実に一〇六・七二%という著しい伸びを見せている。
 中でも、村民が長い間、待ち望んでいた病院すなわち「村立診療所」の建設をはじめ、学校教育の環境整備、第一次産業の振興、福祉施設の整備拡充及び誘致、文化財の保護育成、それに生活環境の整備事業など実に目を見はるものがあり、若い山内村長の手腕、・そのユニークな発想「人間性豊かな環境、文化村づくり」へと目指す実績は村民から高く評価されている。
 「広報よみたん」では山内村長「過去4年のあゆみ」と題し写真によるその足跡を振り返り特集することにしてみた。

村治第17代村長に山内徳信氏 ▲
 「フレッシュ山内」「ヤング山内」と村民の期待を一身に担いさっそうと初登庁する村治第十七代山内徳信村長。
 役場全職員の万雷な拍手の嵐の中をさっそうと初登庁。時に昭和49年7月23日午前9時30分。

村章・村歌を制定
 読谷村のシンボルとして村章と村民の魂や歴史を謳い、村民のかぎりない発展と村民の心を結び愛郷心を呼び起し平和で明るい村づくりの指針ともすべき村歌が制定されました。今では各種会合、大会等で村旗が大きくはためき、村歌が大きくこだましています。(村長自からお手本にと村歌の練習) ▼

※写真は原本参照

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