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1978年6月発行 広報よみたん / 2頁

祝 村立診療所堂々オープン5月26日から開診 村民の医療不安やっと解消 総工費約一億五、〇〇〇万円 診療所長に「蕪木多津を」女医

祝 村立診療所堂々オープン5月26日から開診 村民の医療不安やっと解消
 戦前、戦後を通してはじめての医療施設「村立診療所」が先に完成し、その開所式典が去る五月二五日午後三時から診療所中庭において開かれました。
 この日、小雨模様の悪天候の中を小玉正任沖縄総合事務局長、沖縄県知事代理山内昌和県環境保健部次長、知花英夫県議会議長、新垣秀吉村議会議長、屋良朝苗前県知事はじめ、医療関係者、村当局、村議会議員、各字区長等約四〇〇名が出席し盛大な式典が開かれた。
 式典は、まず新垣喜一総務課長の司会で進められ、安田慶造助役の開式の辞下、式典は始まった。そのあと、山内村長、蕪木診療所長、新垣村議会議長によって堂々テープカットが挙行され、村民が待ちに待ち望んでいた村立診療所はここに堂々開所することができた。
 山内村長はあいさつの中で、「読谷村民にとりまして、久しく待ち望んでおりました医療施設『読谷村診療所』がただ今、開所されました。人間性豊かな環境、文化村を目指す木村において、又、福祉社会と云われる今日、人間の生命と最も関係のある医療施設は、必要欠くべからざる基本施設であるとの考えのもとに計画された診療所が、皆様方の温い御指導と御協力によりまして見事に竣工実現したこと
は、誠に意義深く、戦前、戦後を通してはじめてのことであり二万有余の村民と共に心から喜ぶものであります」。とあいさつした。
 そのあと、工事関係者の大協建設、三建設備、永田設計事務所の各代表者へ感謝状が贈られた。また、多くの来賓祝辞、祝電も寄せられ、時折りパラつく小雨の中でも身じろぎすることなく、我が村の歴史的な一ページを綴る村立診療所の開所式典は盛会の中でとどこおりなく終えた。
 開所式典のあと催されたレセップションには地酒のあわもりをくみかわしつつ、屋良朝苗先生の祝杯で幕を開き、待ちに待たれた待望の医療施設とあってその宴はどこまでも続き、小雨の中でも「カゼを引けば診療所があるさ」などと酒の勢いに冗談も飛び出す程に期待された診療所の開所祝賀会だった。

総工費約一億五、○○○万円 診療所長に「蕪木多津を(かぶらぎたつを)」女医
 「村立診療所の建設」-それは私たち村民が等しく待ち望んでいた長年の一大事業。山内村長就任と同時に人間性豊かな環境・文化村づくりを目指すユニークな発想にのって、福祉村づくりの先鋒には何をさておいても村立の病院「診療所」の建設を急がねばと、その懸案がみごとに実ったものです。
 同診療所の建設計画は昭和五一年度の用地買収で、スタートした。同地域は元米軍基地で昭和四九年十月三十一日全面返還され、その面積約一万二千坪。村は返還軍用地の跡利用計画を策定中、一帯を本村の福祉村づくりの一大メッカにという構想を総め具体的な取り組みがなされてきた。その中で県立の二つの福祉施設を誘致するなど着々とその構想は実現化へと歩み出し、昭和五二年八月五日その王手をつとめるべく待望の村立診療所がいよいよ着工の運びとなったものです。(広報No.二一一号)
 同診療所の設計は永田設計(代表永田盛重)が担当し敷地面積六八○○平方メートル、建物面積六六五平方メートルの鉄筋コンクリート平岸造り。
工事の施工は大協建設(代表宮城清考)があたり、空調設備は三建設備(代表上地武久)がそれぞれ請負総工事費一億七七〇万円(医師住宅含)を投じ昭和五三年二月二日竣工していたものです。
 その間、医療備品の設置、職員配置等で開所に向けて準備万端整えられ、ことに、現代医学の要とされる最新式のレントゲンも設置し村民の健康管理に病気の早期発見、早期治療に万全の体制を整え五月二六日の開診となったもの。
 また、診療所長に蕪木多津を(かぶらぎたつを)女医を迎えております。蕪木先生は東京都の出身。昭和十九年東京女子医大を卒業なされ、昭和三六年に日本医科大学より学位「医学博士」の称号を受けていらっしゃいます。昭和二五年から昭和五一年五月まで日本政府総理府診療所に勤務され、その間、佐
藤、田中、三木の三代の総理大臣をはじめ総理府職員の診療と健康管理にあたられた経験豊かな先生です。先生は総理府診療所を退職したあと今年三月三十一日まで約一年間八重山石垣市夜間診療所に勤務なされていました。
 先生の診察は定評があり、一村民になりきって献身的に診療に取り組まれ、それぞれの患者さんから大変よろこばれています。(写真)-村歴史の一頁を綴る村立診療所の開所。テープカットの一瞬

※写真は原本参照

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