読谷村史編集室 読谷村の出来事を調べる、読谷村広報データベース

1983年2月発行 広報よみたん / 5頁

拓けゆく伸びゆくゆんたんじゃ カメラと散歩№2

モダンな軒並み 読谷ニュータウン(楚辺)
 ニュータウン-その語源は第二次大戦直後イギリスで生まれた。郊外に住宅を核となし、商店街を加えた都市を計画的に建設したのがことのはじまりです。
◎-本村には昭和五〇年代から親志、楚辺地内でニュータウンづくりが進められました。ここ(写真)楚辺地内の「読谷ニュータウン」は楚辺大添原、後原一帯に造成され、現任八○戸のスイトホームを完成させ、数年後には一五〇戸近い住宅街を形成することになる模様です。
 この一帯は、戦後まもなく米中による採石で、大きなくぼ地と化していた。一時期は米軍廃弾処理場の場に、その後、コーラル採石、水道管、製材業種の事業所用地に充てられていました。
・-一時期の軽々しい一画から転じて造成された読谷ニュータウンの新しい住人たちは、その多くは村外から転入して来た方がほとんどです。数年後には大きな住宅街になる読谷ニュータウン、この一帯は楚辺区の行政区域に入ります。新垣松蔵楚辺区長は「今のところ行政区への加入者は少ない。だが楚辺の行政区内であり、多くの方が行政区へ加入されることを勧めます。新しいスビンチュー(楚辺区民)になって住みよいスビムラを共につくって行こう」と行政区への加入を呼びかけていました。

※写真「モダンな軒並み読谷ニュータウン(楚辺)」は原本参照

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