〔275号2ページの続き〕
が必要であります。
今や人類は「力の政治論」や「核戦争」の危機に瀕している、といっても過言ではありません。
私たちは、再び戦争にまき込まれることがあってはなりません。
第二次大戦中、多くの国民が国策に追従した愚は繰り返してはなりません。
私たちは、人間として生きぬくために、戦争につながる改憲論や軍備増強、自衛官募集業務等を拒否し、教育の国家統制をねらう主任制導入や教科書から歴史的事実を隠蔽すべく改ざんを容認せず、平和、民主主義教育を守り、伸びのびとした明るい教育環境を作り上げるのが私達の使命であり、その成果は必ずや読谷の将来に期して待つものがあると確信するものであります。
私達は、ここに沖縄戦の悲惨な体験を教訓にして、日本の平和憲法の理念と読谷村民の平和への意思を体して、三度び中外に向け、声高らかに「平和宣言」をするものであります。
一、我々は、反核、反戦を貫き、平和を守り、人類存続と文化の発展のために奮闘する。
一、我々は、我々と我々の子孫の幸福をめざし、平和な社会を築くために奮闘する。
一、我々は、村民の住みよい生活環境を確保するため、基地(爆音)公害を拒否するため奮闘する。
一、我々は、より身近かな問題として、読谷飛行場内における一切の軍事演習を拒否し、敢然とその撤去を求めるものである。
更に、同用地の問題解決の取り組みは、戦後処理を求める人間的な闘いであり、平和で明るい豊かな村づくりのため、一層の団結の下に奮闘する。
以上のことを村民とともに決意するものであります。
大国の力による「限定核戦争論」や日本の「不沈空母論」等、戦争肯定論が展開されることは、人類滅亡の危険な時代に入ったといっても過言ではありません。
核戦争には勝敗はなく、あるのは人類の滅亡のみであります。したがって、平和に勝る福祉はなく、平和は人類最高の理想といわなければなりません。理想に向って最善の努力をするのが人類の崇高な使命であり、道徳的行為といわなければなりません。
我々は、我々と我々の子孫の生存と幸福のために、反核、反戦の世論を盛り上げると共に、地域にマッチした運動をつくり上げていく努力が必要でありましょう。
一方、復帰後の沖縄振興開発の為に制定された、特別措置法は、更に向う十年間延長されてまいりました。本村の諸施策もこれに基づいて展開してきたのであります。その結果は、社会資本の整備、学校教育施設の整備、生活環境の整備、生産基盤の整備等々、一定の成果を上げてまいりましたが、今後とも時代の進展に即応しつつ、将来への展望に基づき、本村の社会的、経済的、文化的基盤の整備拡充に努力する所存であります。
読谷村の村づくりは、日頃申し上げておりますように、現在を大事にしながら、更に、二十一世紀に向けての村づくりであり、ふるさと読谷のもつ地域特性を活かした形のものでなければなりません。そこで最も大事なことは、村民がたえず人間の生き方を歴史の教訓から学び、安易に時流に流されることなく、真なるものを見つめ、地方の時代にふさわしく、地域に立脚しつつも、尚、普遍性のある「自治の精神」に基づいて「村民の村民による村民のための村政」を主体的に確立することが必要であります。
人口の社会的増加の激しい今日、村民一人びとりが地方の時代のもつ意味を十分に理解し、村づくり、地域づくりの主人公は「自分である」という認識の下に本村の目指す「人間性豊かな環境・文化村」づくりに、自信と誇りをもち、村民の先見性、主体性、思想性、芸術性、政治性に裏うちされた思考と実践が必要であります。
今、日本の政治状況は、臨調答申を受け、行政改革と財政再建という、かってない厳しい渦中にあります。政府の財政的しめつけの厳しい状況下での予算編成でありましたが、今日まで進めて来た諸施策の継続実施を中心に、将来に向けて、より充実した施策展開の基礎的年次にしたいと思います。そこで、児童生徒や青年達を含めた全村民が夢と希望を抱いている「残波岬地域の開発整備事業」の推進をはじめ「勤労者野外活動施設の展開」、「共同販売センターの展開」、「青空市の設置」、「読谷山花織地域工房の設置」、「公営住宅用地の選定事業」、「老人保健事業の推進」、「長浜地区運動場の整備」、「養豚団地移転整備事業の推進」、「ソフトボール九州ブロック大会の開催」、「コミュニティー助成事業」、等々、新規事業として推進していく計画であります。
今年も引き続き、生活環境の整備、生産基盤の整備、地域の医療及び福祉、教育文化、その他の施策を一歩一歩前進させていきたいと思います。どうぞ村民の英知と協力の輪を広げ、清新活力ある村づくりを進めていく考えであります。
昭和五八年度も、議会の皆さんをはじめ、村民各位の積極的な御指導、御協力を仰ぎつつ村政を進めていく所存でありますので、よろしくお願い申し上げます。
※写真「17、000文字から成る昭和58年度施政方針を1時間近くにわたって演説する山内徳信村長」は原本参照