そんちょう日記 №17 読谷村長山内徳信
新春の一月十九日、十二時五五分発の日航機で上京のため那覇空港へ向った。北風の雨の降る日であった。
空港ロビーは乗客で混雑をきわめた。一般乗客に加えて、昭和五九年度の政府予算編成の関係で、県庁職員、各市町村長、各団体役員等、大挙上京するためである。
ところが、その日は日本列島は大雪に見舞われ、東京も久しぶりの積雪を見た。羽田空港も一面雪におおわれ着陸不能のため、那覇空港から飛ぶに飛べない事態となった。
雪の降り止むのを待って飛行機が飛びたったのは、夜に入って八時三〇分であった。一面銀世界の羽田に着き、最終のモノレールで浜松駅に向ったのは十一時四〇分であった。品川の宿舎に入ったのは、すでに十二時もまわっていた。
アジアの一員であることを意識的に忘れ、「西側諸国」の一員だと誇張する日本、機械文明の象徴ともいうべき東京を、いともたやすく制圧する大自然の脅威をまざまざと見せつけられた思いであった。
雪の東京を眺めていると二つの歴史的な事件を思い出した。一つは「桜田門外の変」である。一八六〇年三月三日、雪の朝であった。もう一つは、昭和十一年に起った「二・二六事件」で、この日も雪であった。この事件によって日本は軍部独裁の政治体制が出来、戦争への道を歩むことになる。
例年なら政府の予算編成は十二月に終るのであるが、今年は「田中判決」に伴ない十二月に衆議院議員の選挙の結果、一月にずれこんできた。一月二〇日から五日間にわたって行われた。予算編成の結果は、教育、福祉等、国民生活面は抑えられ、防衛費(軍事費)のみ突出するという予算の伸びは大変危険である。平和憲法の下で、陸海空軍の戦力を持つことが禁じられているにもかかわらず、防衛費の伸び(六.五五%)は、正に軍備拡張路線に向って驀進(バクシン)した、という印象を受けた。
私達にとって、雪は一つの感動であり、夢とロマンを与えるものであり、何よりも平和のシンボルであってほしい、と願っているところである。