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1984年4月発行 広報よみたん / 15頁

村民怒りの声夕闇に突き刺す 絶対阻止村民総決起大会に1千人結集 米軍の楚辺ビーチ拡張計画・悪魔の殺し屋「グリーンベレー」配備断固阻止! 決議文

〔287号14ページの続き〕

地域住民を無視し、基地の強化を図ろうとする米軍の態度は断じて許せない。グリーンベレーの配備、ビーチの拡張は村民にとって風紀、治安の乱れから、我々村民の生命を守る闘いであり、ビーチの拡張は農漁民の生産基盤を守る闘いでもある」と語気鋭く、満身に怒りを込めて米軍の一連の計画を糾弾するあいさつを行いました。
 引き続き、比嘉正善楚辺区長等五名が壇上に立ち、「農漁民の生活を脅かすビーチの拡張を阻止し、軍事強化につながる特殊部隊配備を断固阻止しよう」--と決意表明を行いました。大会宣言やスローガンを全会一致で採択したあと、大会参加者は夕闇のなかを、手に手に怒りのプラカードを持ちトリー通信施設ゲート前までデモ行進し、米軍の計画強行に怒りのシュプレヒコールを夕闇の空に突き刺す、怒りの声を高鳴らせた。

決議文
 1945年、我々沖縄県民は悲惨極まる戦争により、20万余の人命が奪われ財産はことごとく破壊され、戦争の残酷さを身をもって体験してきた。
 それ故に読谷村民は「二度と戦争をくり返してはならない」ことを決意し、反戦平和を基調として「人間性豊かな環境・文化村」をめざし、日夜奮闘しているところである。
 戦後、米軍の沖縄統治は、県民の人権を無視し、1952年から1953年にかけて楚辺、渡具知部落を強制的に立退きさせ、トリイ通信施設を建設してきたのである。
 強制立退きされた住民の生命線であった農地は、食糧生産の場としてかろうじて耕作が認められてきた。また、海浜も地域住民の共有財産として漁場および海水浴場などとして自由に利用されているところである。政府は1972年、日本国憲法のもとに復帰した県民に対し、沖縄施策の中で基地の整理縮少を強くうち出した。ところが今回、住民を締め出す在沖米陸軍の大規模なビーチ拡張工事及び特殊作戦部隊のトリイ通信施設への配備報道は、読谷村民及び県民に大きな衝撃を与えた。
 米軍の楚辺ビーチ拡張計画は、地域住民を締め出し、陸・海・空軍および海兵隊の四軍が使用するということであり、地域住民を不安におとし入れるような治安、風紀上の問題や事件・事故が発生することは明白である。同時に、農耕地の再接収は農家の生活基盤を根底から奪い、漁民の生活の場を破壊し、漁業権を侵害するものである。
 楚辺区民をはじめ村民が、戦前、戦後を通して海水浴やレクリエーションの場として利用してきた貴重なビーチを強引に取り上げることであり、断じて許すことはできない。
 米陸軍特殊作戦部隊のトリイ通信施設への配備は、軍事基地の強化につながり、危険な戦争にまきこまれる不安を増大させ、アジアの平和そのものを脅やかす要因になるのである。
 読谷村は、村民が人間らしく平和で安心した生活をめざし住みよい明るい村づくりのために努力を続けてきた。今回の米軍の計画は、地域住民を無視し、かつ地方自治の本旨をも否定する策動であり、強引かつ一方的な米軍基地の拡大強化に結びつくものであり厳重に抗議すると共に下記の事項を強く要求する。
 1.米軍は楚辺ビーチの拡張計画を即時中止せよ。
 2.米軍は特殊作戦部隊のトリイ通信施設への配備を即時中止せよ。
 以上決議する
 1984年3月21日
 米軍の楚辺ビーチ拡張並びに特殊作戦部隊
 配備阻止読谷村民総決起大会
 外務大臣 防衛施設庁長官 防衛庁長官 アメリカ大使 在日米軍指令官 那覇防衛施設局長
 在沖米陸軍司令官 在沖米国総領事 沖縄県知事 沖縄県議会議長 トリイ通信隊々長

※写真「大会終了後トリー通信隊ゲート前までデモ行進手に手に怒りのプラカードを持って断固阻止!」、「「子や孫のためにも頑張らねばと防寒具に身を包みお年寄りも進んで村民大会に参加」、「村内二十三の組織を網羅して開かれた村民総決起大会約一千人が参加した」は原本参照

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