池田・読谷の交流に参加して 読谷中学校3年与久田みどり
「きやあ、里子ー!」
窓ごしに手をふり合う。釧路空港での感動的な再会半年ぶりに会う里子さんが、ちょっぴり照れくさい。
一歩外に出ると吐く息が白く、話すたび、呼吸をするたびに、もやもやーっと白い吐息が楽しそうに舞いあがる。「砂糖ぬきのわたあめみたい。」と雪を食べた。辺り一面銀世界なんだ。手をつっこみ、足をつっこみ、みんな雪まみれになって影達は、はしゃぎまわった。
二月二日から七日までの五泊六日間は、雪だらけ、感激だらけの毎日だった。
池田冬まつりはマイナス二○度。冷蔵庫のフリーザーの中よりも冷たいんだぞ。しかも、雪のステージでエイサーを踊ったんだ。夏がひっくりかえってステージはふりしきる雪の中。パーランクーの音が調子よく響く。カメラのフラッシュがあちこちで光り、南の文化が、北国で花開く。足が痛い。くつ下を三枚重ねてもしばれる(寒さで痛いこと)くつ下にカイロを入れた。見学中、やっぱりみんなも「痛かった。」って。札幌雪まつりの真白い雪像は忘れがたい。巨大な像が夜空に映える。見上げる雪像は、三階建のビルに等しいんだ。みんなその大きさに驚き、圧倒される。手に手にカメラを持って見学していた。はじめての氷のすべり台は快感だった。風をきって一気にすべる気持よさ。又、ソリ遊びも最高だった。雪が好きになった私は、始終雪とたわむれていた。雪が何かを語りかけている。
カーリング、雪まつり、タンチョウ鶴、ワイン城。
そのつど、たしかに雪が私を変えていた。民泊の方との自由行動や池田中学校への体験入学など。思い出は鮮やかにやきついている。交流会のチャンスを与えてくれた人達に感謝の気持でいっぱいです。
民泊の台所。「……じゃ、みどり、この包丁使って。」と里子が言った。「うん、かわをむけばいいんでしょ?」と私は言った。「そう、むけばいいんだよ。」お母さんが親しそうに言う。笑い声に包まれておしゃべりをしながら、なんてあたたかい台所だろう。「あぐらをかいてもいいんだよ、うちの家族なんだから。」とお父さんが言った。「うちの家族」という言葉がとても嬉しかった。二日間の民泊、時間を止めることができなくてくやしかった。池田の人々はあたたかい、池田はいいところなんだ。池田町に家族ができて嬉しい。
「ただいまー。」「おかえりー。」なれた会話が嬉しくて、一人で喜んでいた私。「みどりさんが帰ると寂しくなるね。」とお母さんに言われた時はさすがに胸がつまった。涙がでそうだった。
池田中学校への体験入学、その日は、ちょうどスケート大会。みんなのすべる姿がカッコイー。池田での生活にどっぶりつかっていた私に、「方言でしゃべってみて。」と言われて思わずドキリ。池田あびーから方言にもどるまでに時間がかかった。その時に気づいた方言の大切さや準備不足を痛感した。「水をろう下にたらすと凍ってすべるので気をつけるように。」先生の連絡事項にもビックリ。さすが雪国らしい注意の数々。
ワインの里池田町は一人一人が協力し合った町づくりを進めていた。厳しい雪国の中、開拓精神おうせいな人々の姿は、誰の心をもひきつける。
第三回池田町、読谷村児童、生徒交流会。夏に始まり、半年が過ぎた。これから新しい交流が続いていくだろう。相手を知り、そして新たな自分の発見に驚く。池田でみつけた自分を大切にしながら、また改めて読谷村を見つめ直したい。
感動は深く、経験は多い。北海道は広い。沖縄とはちがうんだ。一点に消えて行く真っすぐな道路に言葉はいらない。落葉松の並木が続く。日に輝くつらら、雄大につらなる日高山脈。そしてモチツキ。あれもこれも印象的。見渡す限り広がっている大地。しーんと静まりかえった夜の池田を思い出すたびに、言葉にならない感動がこみあげてくる。
みんなも今は言葉をみつけることができないだろう。でもいつか、この感動が脈打ちはじめ、絵や詩の作品となり、言葉となって歩きだし、きっと読谷村に語りかけてくるでしょう。
※写真「山本里子さん(左)と与久田さん」は原本参照