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1985年4月発行 広報よみたん / 2頁

五度び声高らかに「平和宣言」平和で明るい豊かな文化村づくりを目指す 昭和60年度施政方針 1 はじめに

五度び声高らかに「平和宣言」平和で明るい豊かな文化村づくりを目指す 昭和60年度施政方針
 村議会の第一三九回議会定例会は、去る三月十二日開会、昭和六〇年度一般会計予算案をはじめ、多くの議案が提案されました。
 三月議会定例会は通称、予算議会とも呼ばれ、四月一日から執行する昭和六〇年度予算について審議するのが主。又、議会の冒頭、山内村長の「施政方針」の演説は村の方向性を示す最も重要なもの。
 山内徳信村長は、三二項からなる昭和六〇年度の施政方針を行ない、議員各位の協力を求めました。
 その中で五度び内外に平和宣言をし、「人間性・豊かな環境・文化村」をめざす諸施策を打ち出し、村政運営の基本的姿勢を表明しました。
 広報よみたんでは、村政を知り、その方向性を示す山内村政の「昭和六〇年度施政方針」を村民に広く知らしめ、ご理解と御協力を賜りたく、その全文を掲載します。

1 はじめに
 本日ここに、第一三九回読谷村議会定例会の開会にあたり、昭和六〇年度の予算案をはじめ諸議案の説明に先立ち、村政運営に関する基本的姿勢と所信の表明を行い、議員各位並びに村民の御理解と御協力をお願い申し上げる次第であります。さて、今年は、沖縄県民が「鉄の暴風」といわれた悲惨な沖縄戦を体験して以来、四〇年目になります。米軍の直接統治を断ち、日本復帰をし、再生沖縄県が誕生して十三年目を迎えることになりました。
 戦後四〇年間、沖縄県民が一貫して求めてまいりました運動は、平和憲法の理想の実現でありました。それは第二次大戦下の沖縄戦において軍民混在の国土戦がいかなるものであるかを身をもって体験し、また、戦後米軍の占領下に人間としての自由と権利が抑圧され、言い知れぬ苦難の道を経験したからである。
 沖縄県民の平和への希求は、沖縄戦の悲惨な体験と「広島、長崎、ビキニ」等の人類初の核兵器の犠牲者、被爆者が日本国民であり、この慟哭の体験を後世に再びあらしめてはいけないという願いであり、それが反核、反戦の運動であります。
 宇宙的規模での脅威によって、今、人類は重大な危機に瀕しており、わが国の最南端にあって、巨大な米軍基地のある沖縄において、この危機はきわめて深刻であると云わなければなりません。
 われわれ沖縄県民は、公私を問わず、日々の生活に忙殺され、静かに過去をふりかえり、明日を語るいとまさえない状況下であっても、せめて年一度、新年度に覚めた目であらためて沖縄の歴史の過去を顧み、現在を正しく認識し、それをふまえて将来を語り、平和な社会を展望することは極めて重要なことであります。沖縄の近世、近代、現代の歴史は、県民主体の歴史ではなく、たえず外圧によって県民は抑圧され、苦難と犠牲を強いられてきた歴史でありました。
 沖縄が政治的、軍事的側面からのみ位置づけられ、利用されてきた時代は「沖縄県民の最も不幸な時代」であったと云わなければなりません。
 復帰十三年、依然として、日本全国に占める米軍基地のおよそ半分に相当する巨大な基地は、県民の上に重くのしかかり、その結果、基地にまつわる事故、事件はあとをたたず、基地公害、演習被害は続発している状況であります。
 安保条約や地位協定が、沖縄県民の生活権、幸福権、環境権より優先されることがあってはいけないのであります。
 戦後四〇年の歳月が経過した。その中で日本政府は平和憲法の理念を忘れ、次第に「軍事国家」への移行をもくろみ、日米安保条約は「軍事同盟」であると公言し、日米軍事演習を実施するが如き、誠に遺憾であり、われわれ沖縄県民は、そのことを容認することはできません。
 沖縄県民は、「核戦争」の勃発によって、まっ先に攻撃目標にさらされることをよく知っており、また自衛隊という名の下に、日本政府は憲法に反する軍隊を

※写真は原本参照

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