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1985年7月発行 広報よみたん / 2頁

よみがる儀間部落 旧ボローポイント周辺復帰先地公共施設整備事業

よみがる儀間部落 旧ボローポイント周辺復帰先地公共施設整備事業
 昭和六十年七月七日、四十年ぶりの部落再建に儀間区民は喜びに沸きかえりました。
 非惨な沖縄戦により部落は破壊しつくされただけでなく、戦後も、一度は部落への移動許可があり、部落再建をめざしたにもかかわらず、一年を待たずして、米軍によりボローポイント射撃場として接収され、再び故郷を後にしたのです。以来三九年にわたり、区民の大半は他部落での仮住いの生活を強いられてきました。
 区民が他部落に散在したため、部落行政はもちろん生活面での大きな障害を抱えたまま公民館もやむなく現在の長浜地番に建設し、今日にいたったのでした。
 しかし、故郷再建の願いは区民の心から消えることなく、昭和四九年、ボローポイント射撃場の返還に伴い、部落再建の気運は大きな高まりを見せましたが、破壊しつくされた部落を再建するための作業は容易なものではありませんでした。
 昭和五六年、村と部落が協議し国の補助を受け、旧ボローポイント射撃場周辺復帰先地公共施設整備事業導入を決定し、三年に及ぶ準備作業を続けました。その間区民の強い団結と協力は、並々ならぬものがあり困難を極めましたが、昭和五八年八月十六日に工事を着工、昭和六〇年三月三一日に工事が完
了しました。
 この事業の完了により、儀間区民の大きな願いであった、緑豊かな住みよい儀間部落の再建は、ここに大きな一歩を進めたことになります。
 同事業の総工費は二億四千七十六万四千円、道路・排水路・水道等の公共施設が完備されました。
 この日の祝賀会には、区民他、防衛施設局長・村長・議会議長・工事関係者など三百人余が参加、現地の特設会場を埋めつくしました。
 午後二時開会のあと、高嶺修儀間区長は、「敗戦の混乱から今日まで、区民の皆様には古里への郷愁を抱きながら他字での生活を余儀なくされてきました。此の度、地主の皆様を始め区民全体の一致協力と国や村当局の御理解と御配慮により素晴らしい儀間部落が誕生いたしました。今後、村外から区民が続々と故郷へ帰り、平和で明るい豊かな部落建設に邁進するものだと確信いたします。」とあいさつしました。又、祝辞に立った山内徳信村長は「戦後処理事業案としての儀間部落再建の歴史的事業が完了したことを心から喜びお祝い申し上げます。苦難の道を歩んでこられた儀間区民の部落再建に向けた情熱、団結、協力に敬意を表します。又、国や多くの関係機関の御指導・御協力に敬意と感謝を表し、儀間区民の今後一層の発展と活躍を祈念いたします。」とあいさつし、続いて防衛施設局長の祝辞を受けました。
 戦後処理事案としての旧部落復興のための復帰先地公共施設整備事業は、渡具知・宇座につき村内では三番目のものです。
 村内では先の大戦後、米軍基地のため旧部落を追われた村民が多く、その上四八%を占める米軍基地の障害は村民生活・行政にとって大きなものがあります。広大なボローポイント射撃場は昭和四九年返還されて以来、十年余の年月を経て、宇座部落が復興し、西部連道・渡ケ次・浜屋地区では大規模な農業基盤を整備し、さらに残波岬では公園事業が進められています。荒発した同地に、今、二一世紀に向けた「人間性・豊かな環境・文化」づくりは着々と進展し、村民の大きな夢と希望が実現していきます。

※写真は原本参照

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