税を考える-税に関する高校生の作文から-福祉を支える税の力
町役場の厚生課から祖父あてに「医療費のお知らせ」が届いた。それには半年間の医療費総額が記されている。父からそれを見せられたのが税について考えることのきっかけとなった。今まで医療費総額など考えたことがないせいもあって、初めてその数字を目にし、本当に驚いた。また、その多額な医療費の自己負担額はゼロであることを知って二重に驚かされた。もし、この総額をすべて負担していたら、わが家はとうに破産しているだろう。
祖父は脳溢血で倒れ、五年間ずっと寝たきりの生活を送っている。救急車で病院に運ばれた時は瀕死の状態であったが、幸に一命をとりとめることができた。安堵する間もなく家計を危倶することになったが、わが家はそれほど生活に大きな支障もなく、今日に至っている。
これも社会福祉が充実しているおかげだ。その社会福祉を支えているのは税である。改めて税のありがたさを感じ、もっと税について深く考えなくてはならないと思った。
毎週土曜日、入院している祖父の見舞いに行く。近代的なロビーに入るたび父は語る。「福祉制度の充実には感謝せないかん。わしが子供のころや、病院を医者に連れていったって、十分な設備もなかったし、医療費も払えなんだぞ。家で看病して、ようけ死んによたんぞ。今や考えれんことないか」祖父はリハビリテーションなどの施設が完備された県下でも有数の病院に入院している。このような立派な病院にわずかな負担で入院できることを、昔の人は想像できただろうか。
NHKのアンケート調査結果によると、一世帯の平均貯蓄額は約六百六十万円であり、一方、家庭生活の意識については、大半の家庭が中流と回答している。仮りにこれらの家庭が寝たきり老人を一人かかえ、一か月三十万円の医療費を全額負担するとしたら、二十二か月で貯蓄は底をついてしまう。中流家庭の基盤とはこれほど貧弱なものであり、老後の生活は福祉制度なしには語れない。これから急速な高齢化社会を迎えるにあたって、福祉制度、それを支える税の問題はいっそう重要視されることだろう。折りしも今日の新聞の第一面には、六十一年度予算概算要求の骨子が掲載されている。社会保障費に関しては七十歳以上の老人の医療費の自己負担を増やすとあった。なぜ、その必要があるのか。
最近、過剰診療、過剰受診が問題になっている。そのことにも一因があるかもしれない。過剰診療とは医師が必要以上に患者に薬を与えたり、検査を施したりすることである。薬を老人達が橋の上から捨てるのを目撃したという声が先日の新聞にも載っていた。過剰受診とは福祉を受ける側の老人が、病状もそれほどひどくないのに薬を請求したり、入院したりすることだ。最近では、病院を憩いの場とする老人が増加しているとも聞く。国民が汗水流して納めている貴重な税金がこのように不当に使われてよいものだろうか。断じてそのようなことが許されてはならない。もう一度、福祉制度についてよく考え直してみる必要があると思う。
OECD、経済協力開発機構の統計によると、富の再分配が最も公平に行われている国は日本とスウェーデンである。ところが、「スウェーデン型福祉は人類の犯した最大の失敗の一つ」とあるフランス人は記している。彼の報告によると、スウェーデンは過剰福祉のために国家財政はふくれあがり、高税に対する勤労者の不満は爆発点に達しつつある。それにともなう若者の無力感、労働者の勤労意欲の喪失、目的を失った老人達の自殺の急増など、数々の社会問題が続出しているそうだ。
このような状態は本来の福祉制度、税制度のあり方ではない。税は人の幸福につながるべきであるのに、かえって不幸を生み出すという皮肉な結果となっている。このような事実を知って、税を「幸福」に結びつけることがいかに難しいか分かったような気がする。日本はスウェーデンと同じ失敗を犯してはならない。そのためには本格的な高齢化社会の到来する二十一世紀を背負って立つ私達高校生が、福祉や税に対する正しい考えを持つことが大切だと思う。
福祉制度の充実をはじめとして、税は住宅や道路の整備、教育や科学の振興、食糧管理など幅広い分野にわたり、社会に貢献している。私達公立高校の生徒一人当たりにおける国と地方公共団体の負担額は六十七万円にものぼる。
現在の社会生活は税を無視して考えることはできない。それなのに社会は税に対する誤解や不公平に満ちている。税の申告もれは毎年増加しており、今年は史上最高の額になったという。
「納税の義務」は国民の三大義務の一つとして日本国憲法第三十条で定められている。納税者は今、「納税の義務」の意義を考えるべきではないか。
個人の力ではどうにもならない多くの仕事を、国や地方公共団体は受け持っている。国民が健康で快適な生活ができるよう活動しているそれらの機関の資金は、みんなで分担しようというので、「税」が必要となったのだ。国民は「納税の義務」を負うと同時に、法律で定められた税額を上回っては課税されないという権利を持つ。国民が国家の主権者として、定められた額を納税することは当然の義務ではないか。
このような話を聞いたことがある。王様が舞踏会を催すことになり、参加者にワインは各自で持参するように呼びかけた。舞踏会の当日、集まった人々は樽からワインをついで全員溜め息をもらした。樽から出たのは水だったのだ。
納税者のめいめいが自分一人ぐらいという気持ちで税の申告をごまかせばどうなるだろうか。社会から得るものは、はたしてあるだろうか。
もし、税がなければ、火事が起きても消防車は来ない。交通事故が起きても救急車は来ない。銀行強盗があっても警察は来ない。直接生命が危険にさらされることになる、国家予算の編成ができなければ、あらゆる行政機能がストップし、社会は円滑に動かなくなるのは確実だ。
国民一人一人の力は小さいものだ。しかしその小さな力が集まって大きな力となり、はじめて安全で快適な社会が存在するのだ。「納税の義務」の意義はまさしくそこにあるといえるのではないか。
税金は取られるものではなく自主的に納めるものだ。申告納税制度のもとで大切なのは、納税者が社会に積極的に貢献しようとする心だと思う。
税金が納められてこそ、福祉制度は税を納める国民の心によって支えられているのだ。
お盆に祖父の見舞いに行った時、風呂に連れていってくれと頼まれた。看護婦が休暇をとっているせいもあり、一週間も入っていないという。寝たままで入浴できるハーバードタンクの中で、祖父は満足そうな顔をした。あの時の顔を思い返す時、福祉の大切さ、税の恩恵の尊さを思わずにはいられない。