第一六三回議会定例会は去る三月十二日開会され、三月三一日までの二〇日間、昭和六二年度一般会計予算を始め、水道事業、国民健康保険、診療所、老人保健などの特別会計予算の他多くの議案が審議されました。
昭和六二年度予算編成とともに議会の冒頭、村長の行う「施政方針」演説は村政の方向性を決定する最も重要なもので山内徳信村長は一万八千字に及ぶ昭和六二年度施政方針を示し、村民並びに議員各位の理解と協力を求めました。
その中で七度び内外に「平和宣言」をするとともに「人間性豊かな環境・文化村」をめざす諸放策を打ち出し、村民とともに二一世紀を展望するムラづくりを推進する村政運営の基本姿勢を表明しました。
本年度は国体開催の年であり、又、読谷飛行場問題解決の新たな進展の年ともなります。
広報よみたんでは山内村政の「昭和六二年度施政方針」を村民に広く知らしめ、ご理解とご協力を賜りたくその全文を掲載しました。
一、はじめに
本日ここに第百六三回読谷村議会定例会にあたり、昭和六二年度の予算案をはじめ、諸議案の説明に先立ち村政運営の基本姿勢と所信の表明を行います。
今年も、村民の幸せを願い地方自治発展のために議会の皆さん方をはじめ村民各位の御理解と御協力を仰ぎつつ全力を尽してまいりたいと思います。
さて、六二年度の予算編成にあたって読谷村は、自民党政府の国民に対する公約無視の唐突な税制改革案で、現在国会で大問題となり、更に国民に大きな不安を投げかけ、国民を騒然とさせ、その反撃を受けている売上税関係は予算計上せず、通常ベースで予算編成をして議会に提案してありますことを予めご報告申し上げます。
今年は「鉄の暴風」「沖縄県民玉砕」と言われた沖縄戦が終って四二年間たちました。それは決して短い歳月ではありません。内外をめぐる諸情勢は一段と厳しさを増してきております。戦後政治の総決算をかかげて登場した中曽根内閣は、憲法改正を頂点にすえ、国家秘密法(スパイ防止法)、防衛予算GNP一%枠突破の歯止めなき予算、公約違反大型間接税(売上税、マル優廃止等)、学校現場及び公共施設への日の丸・君が代の強引な押しつけ等、正に反動・非民主的であり、国の進路を誤るものと言わざるをえません。この動きは、日本が一気に軍国主義化、皇民化路線へ走った昭和十年代の動きを思わせるものであります。その結果が日本の敗戦であり、アジア諸国民に多大な犠牲を強いることになったのであります。
広島の平和祈念公園の石碑には「過ちは再びくりかえさせません、安らかに眠って下さい」と刻まれております。ところが、この国民的誓いが国民の記憶の中から消え去っていいのでありましょうか。
一方、沖縄に住む我々は沖縄の置かれている現実をあらためて見つめ直した時、心の底からの怒りを覚えるのであります。全国にある米軍専用基地の七五%が沖縄に集中、その重圧に日々坤吟、くりかえされる軍事演習、日常的に発生する基地被害、基地をめぐる県民とのトラブル、軍用地二〇年強制使用の申請、新規の基地構築の動き等々、このような状況が世界のどこに、日本のどこにあるでありましようか。
これらの本質は、沖縄に対する日本の歴史的な差別であり政治的抑圧以外の何ものでもありません。薩摩の琉球侵攻、明治政府の琉球処分、今次大戦の中で沖縄県民を玉砕に追いやっても皇国を守りぬこうとした作戦を展開し、対日講和会議で沖縄を米国の直接統治に委ねることによって独立を達成した日本、日本政府は沖縄の本土復帰に際し「核抜き本土並み返還」と称した。 ところが、沖縄の現実の姿は核抜きでも本土並みでもなく、正に「異常な基地の島」の一語につきるのであります。
小さな島沖縄は、昔は武器のない平和な島であった。貧しくとも心豊かな守礼の邦であった。大戦の中をやっとの思いで生きぬいてきた人々、戦後生れた若い人々を含めて沖縄の人々は自由と平和、人権と民主主義を願い反戦平和実現のため四十年間苦闘してきたのであります。
その県民の上に今、権力をむき出しに襲いかかってきているのがある。それは基地の問題だけでなく、戦後新憲法の下で否定されたはずの「忠君愛国」思想の再来であり、戦前への回帰であります。日本政府はアジア諸国への侵略戦争に対する謝罪と反省もなく、又日本国民の戦争責任論を不問にし、「国旗」「国歌」の改正提案の手続きもとらず戦後四二年間の歳月が経過した今、かつての「日の丸」「君が代」への一顧の反省もせず、行政指導の形をとりつつ学校現場の「卒業式」「入学式」等に強引に押しつけてきている実態は、誠に遺憾であり、行政権力が人間の基本的人権をも支配していく恐ろしい結果になることを憂慮するものであります。
戦前、軍国主義体制と皇民化教育を推進し、国民の思想統一を図る上で「日の丸」「君が代」が果した歴史的事実を、粉飾もせず歪曲もせずに真実を直視し、より人間的に対処していくことが、今必要でありそれが二一世紀の歴史の批判に耐えうる道ではなかろうか。
我々は安易に時流に流されることなく、自らの良心を麻痺させることなく、人間の尊厳さと理性の光を失うことなく、真実をみつめ、真実のために勇気をもって共に行動することが極めて重要であろうと思うのであります。
沖縄の歴史をふりかえってみると、一時代を除いては絶えず外圧によって苦難と犠牲を強いられてきました。そして、沖縄が政治的、軍事的側面からのみ位置づけられ利用されてきた時代は「沖縄県民の最も不幸な時代」でありました。
県民意思とは無関係に安保条約や地位協定が優先され、最も大切であるべき県民の生活権、財産権、幸福権、環境権等は押しつぶされている現実をみたとき、憤りと怒りを禁じえないのであります。
我々沖縄県民は、第二次大戦中「国策に従え」という政府の指導に追従させられ多くの犠牲を払わされてきたことは、事実が物語っているとおりであります。
私は、ここであえて「チビチリガマの集団自決の悲劇(八四人)」を申し上げたいと思います。戦後四二年にしてチビチリガマの集団自決の悲劇がやっと地域の若い青年達の努力と、重く口をとざしていた遺族の皆さんの平和への決意によって、再びあらしめてはならない悲惨な戦争を拒否するため、今波平区において金城実さん(在大阪)の指導のもとに「平和の像」が制作中であります。このチビチリガマの集団自決は、我々に政治や教育が過った時、民衆はどうなっていくのか、と言うことを鋭く問いかけております。
読谷村では、これらの歴史の教訓を生かし「生存と平和」を最も大事にする立場から議会においても一九八二年六月に非核宣言を決議しているのであります。今後の戦争(核戦争)には、勝敗はなく、あるのは人間の滅亡のみであり、従って、平和に勝る福祉はなく、平和は人類最高の理想であり、その実現の為に全力を尽すことは人間の崇高な使命であります。
改憲論や軍備増強、自衛官募集業務等、戦争の道につながる行為は、読谷村の基本理念にそぐわないものであり、今後とも拒否してまいります。
私は、ここに沖縄の歴史の教訓と日本の平和憲法の理念及び「非核宣言の村」としての村民意思を体し、内外に声高らかに「平和宣言」をするものであります。
一、われわれは、反核・反戦を貫き、平和を守り、人類の存続と文化発展のために奮闘する。
一、われわれは、我々と我々の子孫の幸せと繁栄をめざし、平和な社会を築くために奮闘する。
一、われわれは、読谷村民の住みよい生活環境の確保をめざし、基地公害(爆音訴訟含む)を拒 否するために奮闘する。
一、われわれは、読谷飛行場内の米軍落下傘演習場の早期撤去を求め、村民の諸活動の場とし ての村づくりのために奮闘する。
以上のことを村民に訴え、あわせて村民と共にその実現に向けて決意する次第であります。
一方、沖縄振興開発特別措置法の下に策定されております第二次沖縄振興開発計画も後期六年目に入り、本村においても生活環境の整備、生産基盤の整備、学校教育施設の整備等々、社会資本の整備拡充の為に努力していく所存であります。
読谷村のムラづくりは、日頃申し上げておりますように過去の歴史をふまえ、現在を正しく認識しつつ、二一世紀を展望するものであり、ふるさと読谷のもつ地域特性を最大限に活用すると共に、新しい展開を志すものであります。
そこで最も大事なことは、村民がたえず人間としての生き方を歴史の教訓から学び「真なるもの・純なるもの」を見つめる視点と、地方の時代・文化の時代を持続させる努力と地域に立脚しつつも、普遍性と国際性を有する視野と志が必要であります。
※文字数制限越え。続く。