読谷村史編集室 読谷村の出来事を調べる、読谷村広報データベース

1987年11月発行 広報よみたん / 7頁

【見出し】海邦国体への御協力心から感謝を申し上げます 読谷村長山内徳信 一はじめに 二国体に向けて 三村民ぐるみの歓迎 四心静かに明日を見つめて 【写真】

 一、はじめに

 第四二回国民体育大会、海邦国体は十月三十日全日程を終了し、沖縄県が総合優勝をとげました。開会式、閉会式は他府県にない沖縄文化の特色を遺憾なく発揮し、その姿は正に豪華絢爛たるもので、それを企画し指導して下さったすべての人々に敬意を表したい気持であります。同時に読谷平和の森球場における開始式前の集団演技も正にその通りであり、心から感謝を申し上げます。
 各種目の選手監督、コーチの皆様も、地元沖縄と言うプレッシャーに耐え、よくぞ頑張って下さいました。ご苦労さんでありました。
 私達読谷村は、少年男子ソフトボール競技会場を担当運営して参りました。
 ここにあらためて海邦国体成功の為に、日夜ご奮闘、ご指導、ご協力を賜りました関係団体をはじめ、村民各位のご労苦に心から敬意と感謝の意を表し、お礼を申し上げる次第であります。

二、国体に向けて

 ソフトボール競技を引き受けた読谷村及び読谷村民は、準備の第一段階として、国体会場の実現を期して、数年にわたる関係機関等への交渉、要請の成果として、読谷平和の森球場等が見事に出来上ったのであります。
 第二段階は、県内外からの選手・監督・役員・来賓・視察調査員等、大勢の人々の受け入れ体制をどのようにつくり上げていくか、と言う仕事でありました。
 読谷村は、その要役として国体課を新設し、縦横の連絡を密にしながら、更に、実施本部を設置し、大会開始前は九部二六班、大会開催中は十部二四係の体制を確立し、競技運営の万全を期してきたので
あります。

三、村民ぐるみの歓迎

 海邦国体を成功させる為に、協力機関団体として読谷村役場を中心に、各字老人クラブの花いっぱい運動や、区長会、老人クラブ、婦人会、青年会、村内小中高校、集団演技指導班、農協、商工会、漁協、地区安協、民泊協力会、茶道愛好会、生改グループ、弁当協力会等々、実に五三団体の協力の下に進められて参りました。
 各団体の皆さんが、昼となく夜となく、ある時は表から、ある時は裏から、それぞれの持ち場、持ち場で、誠心誠意のご協力、ご支援のお蔭で国体少年男子ソフトボール競技は盛会裏に終了することが出来ました。
 海邦国体のテーマであります「きらめく太陽、ひろがる友情」の輪は、大きく広がりました。各民泊家庭のご協力、各字公民館等を中心に行われた各県チームの歓送迎会は、各字とも個性を活かし、創意工夫がこらされており、遠来の客(選手)をもてなすのに、正に素晴らしい光景であり、スポーツのとり持つ熱烈な雰囲気を見て、何がそうさせるのだろうと思いました。私は瞬時を惜んで、やっと三つの公民館しか巡り得ませんでしたが、その見事な雰囲気に接しこれは沖縄の人々(読谷の人々)の純真な心の表現であり、ヤマトから来た若い選手達に対するウチナーン人の温かい純粋な心の表現である、と思いました。
 勝ったチーム、負けたチームの別なく、短かい民泊期間であったが、お互の善意と人間性、真心が通じ合い、情が湧き離別の涙をおさえつつ、再会を誓い会う姿も、又、印象的でありました。国体を通して、人生の良き出会い、良き思い出の絆が出来たことをうれしく思います。

四、心静かに明日を見つめて

 長かった国体準備、そして本番も終った。日本全国を一巡した国体、四二年目の海邦国体、走馬灯の如く色々な思いを残して再び沖縄を飛び立っていった国体。その先に幸せあれと願う気持で一杯であります。
 国体期間中、色々難しい問題が惹起し、苦痛、苦悩をかかえながらも、村民をはじめ関係団体各位の献身的な努力によって、国体ソフトボール競技は計画通り、立派に終りました。関係者の血のにじむようなご努力、ご奮闘の賜物であり心から敬意と感謝を申し上げます。
 我々にとって国体は初めての体験であり、不安も迷いも一杯ありました。紆余曲折ありながらも、それを乗り越えて国体を終了することが出来ましたことを、村民各位にご報告を申し上げ、あわせてご指導、ご鞭撻、ご協力下さいましたすべての方々に重ねてお礼を申し上げます。
 どうぞ、これから又、心静かに明日をみつめつつ、それぞれのお仕事に精進されますようお願い申し上げ、お礼のご挨拶といたします。

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