読谷村史編集室 読谷村の出来事を調べる、読谷村広報データベース

1988年4月発行 広報よみたん / 2頁

憲法の理念に立ち「平和宣言」村民とともに21世紀を展望するムラづくりを推進 昭和63年度施政方針 【写真】 一はじめに 二村政に対する基本姿勢 【写真】 三本年度の重点事項 四本年度の実施項目 【写真:池田町・読谷村児童交流】(1)学校教育、社会教育の充実並びに地域文化創造に関する施策 【写真:動く美術館】(2)産業・経済の振興に関する施策 【写真:座喜味城跡:残波大獅子:進む土地改良:畜産まつり】(3)社会福祉増進のための施策(4)生活環境の整備に関する施策 【写真:コミュニティ道路】(5)読谷飛行場転用計画実現について(6)残波岬地域及び海岸整備等の開発促進(7)緑化および美化運動の推進(8)行政区域の改善の推進(9)行政機構の改革及び執行体制の強化(10)平和行政の推進(11)比謝川沿岸整備計画基礎調査 【写真】(12)職員の増員について 五おわりに

 第一六七回読谷村議会定例会は、去る三月十一日開会され、三月二八日までの十八日間、昭和六三年度一般会計予算を始め、水道事業国民健康保険、診療所、老人保健などの特別会計予算の他多くの議案が審議されました。
 昭和六三年度の予算編成とともに、議会の冒頭、村長の行う「施政方針」の演説は、村政の方向を決定する最も重要なもので、山内徳信村長は、昭和六三年度の施政方針を示し、村民並びに議員各位の理解と協力を求めました。
 その中で、本年度も憲法の理念に立ち、内外に高らかに平和宣言をするとともに「人間性豊かな環境、文化村」づくりをめざす諸施策を打ち出し、村民とともに二一世紀を展望するムラづくりを推進する村政運営の姿勢を表明しました。
 広報よみたんでは、山内村政の「昭和六三年度施政方針」を広く知らしめ、ご理解とご協力を賜りたくその全文を掲載いたします。

 一、はじめに

 本日ここに第175回読谷村議会定例会にあたり、昭和六三年度の予算案をはじめ諸議案の説明に先立ち、村政運営の基本姿勢と所信の表明を行います。
 昭和六三年度の予算編成は、村民の幸せを願い、そのニーズに応えつつ、平和憲法の精神を村政に生かし、地方自治の発展を期して作業を進めてまいりました。
 議会の皆様をはじめ、村民各位の御理解と御協力を仰ぎ、今年も全力を尽くしてまいりたいと思います。
 さて、人類はこの地球上に誕生して以来、万物の霊長として知恵を生かして発展してまいりました。ところが二〇世紀の今日、人類史上かってない深刻な危機に直面しているのであります。それも人間自ら造り上げた核兵器と核軍備競争によってであります。ボタン式核兵器の時代にあっては、国境は軍事的意味をもたなくなりました。人間は国境を越え、人類の一員として生きていくという意識の変革が問われてまいりました。
 思想の違いや色の違い、文化の違い、体制の違いによっていがみあい、憎み合う社会ではなく、地球上に住む人間として、お互いに善意、理解、調和、公正、良心、知性をもって平和な二一世紀をめざし、視野を大きく国際社会に向けて行くことが必要であります。日本国憲法は、いみじくもそのことを提唱しているのであります。
 今次大戦で未曾有の戦禍をこうむり、悲惨な体験をした日本国民は、心のよりどころを失い、住むに家なく、生きるのに食なく、着るに服なく、という状況の中にありました。
 戦争の悲惨さと苦しみにうちひしがれていた国民に生きる望みと自信と勇気を与えたものがありました。それが新生日本の憲法でありました。それは新鮮で、強烈に国民の心をとらえ、生きる力を与え、自由と平和・民主主義を国民の前に具体的に提示してくれたのでありました。それ故に平和憲法の理念と民主主義を基調とした平和国家の建設は、国民的誓いでありました。
 戦後四三年目を迎えた今、憲法を率先して守らねばならない政府が、むしろ憲法の精神を大きく逸脱し防衛費のGNP比一%枠を突破するがごときは、正に反憲法的動きであり国民生活と福祉・教育を切り崩し、再び日本の将来を誤らしめる危険性のあることを憂慮するものであります。
 我々が歴史を学ぶということは、単に過去を知るためではなく、歴史の中に繰り広げられる様々な体験を通して教訓を学びとり、それを未来への指針として生かすためであります。また、その教訓を生かし得るところが人間の知性であり、英知であろうと信ずるものであります。
 私はここで村民各位に訴えるのでありますが、憲法は日本の最高法規であります。我々はあらためて憲法の精神を学び、それを日々の生活の中で生かしていくことが極めて重要であり、憲法を守りぬくことが国民共通の幸せに通ずる道であろうと信ずるからであります。
 私は、日頃村民に対し「汝の立つ処を深く掘れ、そこに泉あり」という先哲の言葉を申し上げております。我々が生まれた沖縄、我々が今後も生きていく沖縄、その沖縄の歴史を知ることは、”自分自身”を知ることであり、人間の生きざまをも決定づける重要なことであります。
 日本は南北に細長い島嶼国家であり、それぞれの地理(自然)歴史、由来を有しております。我々沖縄は気候的には亜熱帯に属し、歴史的には薩摩の琉球入り以来、苦難の歴史を歩み、政治的には明治一二年(一八七九年)日本の近代政治体制(廃藩置県)の中に入ることになるのであります。それは今から一〇九年前のことであります。その後、明治、大正、昭和の今日に至るまで、沖縄は政治的、軍事的立場のみから利用されてきたと言うのは、過言でありましょうか。
 日本国内唯一の地上戦が行われ、それに続く二七年間の異民族支配、復帰後も基地の島の苦悩の実態(日本全体の米軍専用基地の七〇%余りが沖縄にある)は変わらず、演習の激化、事故、事件の多発、日米間で返還または移設合意をした米軍基地さえ返さない不誠実さは、日本政府の廃藩置県以来の一貫した沖縄(県民)差別であり、大の虫を生かすのに小の虫を犠牲にしようとする抑圧の姿といわざるをえないのであります。
 中央も地方も必要であります。都会も農村(田舎)も必要であります。両者は互いに補完し合い、支え合って一つの国家は成り立っているのであり、そこには上下もなく、価値の優劣も本来ないのであります。にもかかわらず、沖縄の現実はあまりにも重荷を背負わされ過ぎております。それでも尚、我々は未来への希望をもって歩まねばなりません。
 元来、沖縄の人の本性は遅しく、優しく、おおらかで、亜熱帯的であります。この沖縄の優しさ、沖縄の心(虐げるのでもなく、争うのでもなく、差別するのでもなく、人間を大切に痛みを分かち合う心)、沖縄の知恵を生かし主体性、創造性という心意気を基に、具体的に、科学的に、民主的に事に当たる。その遅しさが、本来沖縄の人々にあることを歴史から学びとらねばならないのであります。
 この道こそ我々が求めている道であり、生きる道であります。
 地方自治とは何か、これは空気や水みたいなもので、日頃そのことを深く考えようとする人は、多くはいないのであります。勿論、戦前の日本は地方自治の存在しない上意下達の時代でありました。と正義を愛し、個人の価値を尊び、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育城を期して行わなければならない。」とうたわれています。
 教育行政は、この教育基本法の理念に基づき、教育環境の整備、学習指導の充実、青少年の健全育成、社会教育の充実、体力の増進、郷土文化の振興及び文化財の保護育成、さらに生涯各期に応じた学習で豊かな人間性の形成をめざし、行政、学校、父母、そして地域が一体となって「人づくり」をはかっていくことであります。

  ① 教育諸条件の整備
 学校教育におきましては、児童生徒が伸び伸びと学習できる教育環境の整備が基本的な事項であります。
 今年度は、老朽校舎の解消をはかるため読谷小学校の校舎建築をはじめ読谷中学校の運動場整備を行います。また、生徒の自主性、協調性を育む部活動の活発化のため古堅中学校の柔剣道場および部室の建築、さらに小学校のプールの建設、渡慶次小学校の敷地拡張のための用地取得等を実施するとともに、知育、徳育、体育の調和がとれた児童生徒の育成をめざし学校教育内容の一層の充実につとめてまいります。

※続く。

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