読谷村史編集室 読谷村の出来事を調べる、読谷村広報データベース

1988年8月発行 広報よみたん / 8頁

大切な人生だから 瀬名波婦人会津波タミ子【顔写真】

 貴方は今、幸せですか?
貴方は何の為に生きていますか?
自分自身を見つめた事がありますか?
こんな事を問われた時、皆さんは即座に答える事ができるでしょうか?
 私がどうしてこの様な問いかけをしたかと言いますと、私自身生涯における大きな試練を体験したからです。
 人の運命は、ある日突然変わるものです。
私は十年前までは、平凡な一児の母親でした。優しい夫と姑の四人家族で、幸せな毎日を送っていました。
 若い頃は、おけいこ事や青年活動等で充実した青春時代を過ごしました。そして、結婚してからは婦人会に加入し、昭和五十二年度の書記として、忙しい日々を送っていました。
 そんなある日の事です。字を書いていると目の疲れを感じ、太陽が妙にまぶしく感じられ、私は思い切って眼科の病院へ行く事にしました。ほうぼうの病院を尋ねたあげく、「バセドゥ氏病」と診断されたのです。
 ちょうど同じ頃、私のお腹の中には、二人目の新しい生命が産まれようとしていました。しかし、恐ろしい運命が私を待ち受けていたのです。左目が失明し、手術をしたのですが、今度は右の目まで失明してしまったのです。両方の目を完全に失なった私は、明るい光の中からまっ暗な闇の中につき落とされてしまったです。
 幸せな家庭、これからの夢、全てが音を立ててくずれていくのを感じました。来る日も来る日も闇ばかり。可愛いい子供の顔を見る事も出来ないし、夫の為に何もしてあげられない。こんな私がこれから生きていて何の意味があろう。一日中泣いてばかりいました。そして、死ぬ事ばかり考えていました。
 しかし、日増しに大きくなっていくお腹に子供の胎動を感じた時、産まれて来る子供の為に生きなければと思う様になりました。自分自身の苦しみからのがれる為に、新しい生命をつみ取る事は許されないのです。
 そして、健康な男の子が産まれたと聞かされた時、ホッとしました。その後、何度も手術を受けましたが、私の目は二度と回復する事はありませんでした。しかし、私は決して望みを捨てた訳ではありません。この二人の子供たちの顔を一目見たい!そんな思いで毎日■神様にお祈りしました。 私の思いが天に届いたのでしょうか。手術後三年目の頃、暗闇だった私の目に、かすかな光を感じる様になったのです。私はもう死ぬ事は考えませんでした。目は見えなくとも子供の小さな手のぬくもり、元気な泣き声や笑い声を聞いていると、生きる希望が湧いて来るのでした。
 そんなある日、一枚の葉書が舞い込んで来ました。社会福祉協会の視覚部から、視覚障害者の結成式に出席して欲しいとの通知でした。私はその会合に出席して初めて、自分と同じ境遇の人がこんなに多勢いる事にびっくりしました。中には健常者と変わりなく、スポーツをしたり、指導者として活躍している人もいる事を知り、感動しました。
 その時から、私の新しい人生が始まったのです。家の中にとじ込もって一人で嘆いていても仕方がない。この仲間たちと一緒に人生をやり直してみようと決心しました。
 その後、歩行訓練を受け、一人で歩ける様になると、私はボランティアの方たちに支えられて、料理講習、手芸、三味線等いろんな活動を続け、家庭でもひと通りの家事ができる様になりました。
 そして、県スポーツ大会で、立ち幅飛び、砲丸投げで優勝したり、全国身体障害者スポーツ大会でも入賞の経験をしました。スポーツをする様になってから、大切な目は失なっても、私には健康な体と人の心と触れ合う事のできる言葉があるという事に感謝する様になりました。失なったものを悔やむよりも、残された体を最大限に生かして、いろんな事に挑戦すれば不可能な事はないのです。まして健常者の皆さんは、恵まれた健康な肉体と素晴らしい五感を大切にし、自分の可能性を限りなく発揮できるはずです。
 そして、皆さんのあり余る程の体力と、わずかばかりの時間を体の不自由な人たちの為に奉仕できたなら、どんなに素晴らしい事でしょう。
 私は又、目が見えなくなって初めて、人の心の温かさ、家族の思いやりを身にしみて感ずるものです。心の目で人を見る様にもなりました。これまで黙って私を支えてくれた姑や主人、杖代わりとなってくれた幼ない息子達。家族の心が一つになって支えてくれたから、私はこの大きな試練を乗り越える事ができたのです。
 親子の断絶、夫婦の不仲、家庭の崩壊等が社会問題となっている昨今、皆さんの心の目で社会に起こる様々な問題をしっかりと見つめ、人としての生きる道を考えて欲しいものです。
 しかし、私達障害者がどんなに歯をくいしばって頑張っても限界があり、健常者の皆さんの手を借りなければならない面があるのです。それは何と言っても、行政に対して援助の手をさしのべていただきたい事です。
 今、私達障害者が行政に要請している福祉事業として、道路の整備、音の出る信号機、点字タイルの設置等があります。時代と共に多くの市町村が社会福祉に目を向ける様になって、障害者の為の設備が充実してきたのは嬉しい事ですが、いざ使用してみると、不便で全く利用価値がなく放置されたままの現状が少なくありません。
 福祉事業を計画する際に、障害者の立場に立って、障害者の声が聞ける、人の痛みのわかる行政を切に望むものです。
 私は健常者の方たちに甘え、頼り切って生きる気持はありません。ただ健常者の方たちに、一人でも多く障害者に対する差別偏見をなくし、理解といたわりの心を持っていただく為にどうずれば良いかを、常に心に抱いているものです。
 そんな時、主人にこんな事を言われたのです。「今度は健常者の人たちとっき合って、もっと視野を広げてごらん。」この言葉を聞いた時、私は婦人会の書記としての任務を果たせなかった十年前の事を思い出しました。
「そうだ。もう一度婦人会に戻って、みんなからいろんな事を学ぼう。そして世間の人たちにもっと障害者の事を理解させる為のパイプ役になろう。」そう思って、今年から婦人会に再加入する事にしたのです。
 私は思います。長い人生において、人は皆それぞれ自分に課せられた苦難があると思います。しかし、いつまでも悲しんだり嘆いたりしてはいられません。自分の力で乗り越える以外道はないのです。そして又、人は何時自分が障害者になるかも知れません。
 ですから、障害者を通して、健康のありがたさに感謝し、自分の人生を大切に、正直に生きて欲しいと思います。そして、皆さんの思いやりの心に支えられて、私も一緒に歩ませて下さい。
 一度きりの、大切な人生だから!

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