読谷村史編集室 読谷村の出来事を調べる、読谷村広報データベース

1989年1月発行 広報よみたん / 9頁

余暇時代にむけて豊かさとゆとりの創造

 余暇という日本語の語源は、古くは中国の唐の時代にまでさかのぼります。わが国に、この言葉がいつごろ入ってきたかは確かでありませんが、十一世紀の「明衡往来」、十四世紀の「太平記」には登場しています。
 その後、江戸時代、明治、大正時代にも使われていますが、一般的に広く流布することはありませんでした。マスコミをはじめとして、多くの人々が余暇という言葉を使用するのは、驚くほど近年になってからのことなのです。
いまだ定かでない余暇の意味
 レジャーという英語が、日本で好んで使われるようになったのは、昭和三十年代後半のことです。余暇も、時を同じくして多くの人々が使うようになりました。戦前、同種の言葉として、もっぱら使われていたのは、娯楽という言葉でした。
 昭和三十年代から今日に至るまでの約三十年間、余暇という言葉は日本人の間で使われてきましたが、その意味を探ってみると、国民的コンセンサスは、いまだに得られていません。この言葉を理解することは、現代においても極めて難しいようです。
 ちなみに、日本語の辞典をひもといてみると、余暇の意味として「仕事の間のひま、あまりの時間、ひま、いとま、余閑」と書かれています(小学館『日本国語大辞典』)。
 岩波の広辞苑をみても「自分の自由に使えるあまった時間、ひま、いとま」としか書かれていません。漢和辞典を引いても、同様な記述が繰り返されるのみで、何のことか、さっぱりわかりません。単に同意語を列記しているに過ぎないように思われます。
余暇を罪悪祝してきた日本人
 余暇という漢語が日本に入ってきて、千年の歴史があるのに、昭和三十年代に至るまで一部の人にしか使われずに、広く流布しなかったのは、まことに不思議です。それはなぜでしょうか。
 日本人は、余暇の対極にある労働を重視して、孔子の「小人閑居して不善をなす」の教えどおり、余暇を罪悪祝してきたためでしょう。

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