夜空に輝く星のように美しく 太陽のようにまぶしく
大地のように広い心で子供のすべてを包みこむ母 ”おふくろ”
何と心に優しく響く美しい詩でしょう。母の包みこむような暖かさを感じます。
母親とは、私達人間にとって、いいえ生命あるすべてのものにとって、素晴らしい大きな心の支えです。それは果てしなく広がる深い愛であり、かけがえのないものです。かけがえのないものとは、失うことのできない大切なもののはずです。中でも”母の愛”は何ものにもかえがたいもので、それは大事な親子の絆なのです。
しかし、美しい名前「お母さん」と素直に呼ぶ事のできない不幸な子どもたちが、世の中にはどれ程大勢いることでしょう。
身も心も健全な子どもを育てるために最も大切なことは、子どもにとって居ごこちのよい暖かい雰囲気に包まれた家庭をつくることだと思います。
でも残念なことに、子どもにとってかけがえのない両親が何らかの理由で家庭がもろくもくずれてしまうケースが年々増えつつあるようです。原因はいろいろある中で、最も悲惨なのは、両親の離婚問題に巻きこまれた子供たちではないでしょうか。
今や沖縄は、全国でも離婚率トップ県だとの情報を聞くにつけ胸が痛みます。
読谷村でも昭和六三年十二月現在、婚姻届二四一件に対し離婚届五八件で全体の二四パーセントとなり、一月平均四・八件という悲しいデーターが出ています。又最近では父子家庭もめずらしくなく、四九件となっているのが現状のようです。このようなデーターを目の前にすると、ただ驚くばかりで今や家庭のあり方も根本的に問い直す時期にきているのではないでしょうか?
子供を産むのはたやすいが、育てるのはむずかしい世の中です。両親の身勝手とも思われるはざまで、一番の被害をこおむるのは残された子供たちなのです。離婚された人達には、それなりの理由があっての事で安易に批判するつもりはありませんが、私が「離婚問題」にあえてこだわるのは、「母親の愛」「家庭の愛」が子供の成長家庭においてどれ程大切で、その後の生き方にまで大きく影響するか、私自身が身をもって体験しているからです。
私の母は、私が生まれて三ヶ月の時、産後熱で他界し、その後父親も再婚した為、私は祖母の元で育ちました。
昭和二十二年終戦直後の生活は苦しく、ミルクも十分になく他人のお乳をもらったり、、軍から粉ミルクをさがし求めて、育てるのに随分苦労したようです。お蔭で私は元気に育ち、現在の自分のある事を祖母に深く感謝しています。
「親は無くても子は育つ」との言葉もありますが…。やはり物心ついた頃になると母親の優しさ、ぬくもりってどんなものだろうと、母への思いが日増しにつのるばかりで、ある時はこみあげてくる悲しみをおさえることができなく涙で枕をぬらす日が幾度もありました。そして自分に背負わされた宿命をどれ程恨んだことでしょう。母の写真をお守り代わりに持って、つらい時、悲しい時には「私は一人じゃない。いつも母が見守って支えてくれているんだ。と思い、幼年期はなんとか乗り越えてきました。しかし、多感な思春期にさしかかった頃から私は母親の必要性を感じる様になり、女の子として身体的な悩み不安も一人で抱えたまま過ごしてきました。女性にとって母親の必要性は結婚してからも身にしみて感じるものです。子供を身ごもり、お産までの不安と緊張感、そして新しい生命がうぶ声を上げた時、そこに喜んでくれる母親の顔がないのは、どんなに淋しかった事か…。
このように人生には、自分一人の力ではどうしょうもない障害や困難にぶつかっていかなければならないこともあります。そんな時母がいたらどんなに心強かったことでしょう。私は成長するにつれ、母親のいないみじめさやコンプレックスを感じる事もままありました。しかし、「母が私を産んでくれた事は、母の命が私の体の中に心の中に確実に生きていることなんだ。そして、私の子どもがその命をうけついでくれる。母の命は、私と子どもへと永遠に生き続けているのだ。」と気づいた時、私はこれまでの母親への感情がまちがっていた事に気づき、心の霧が消えていくのを感じました。そしてこれからは明るく前向きに力強く生きていくことが亡き母への、せめてもの親孝行だと思うのです。
この様に、私と母は病死というふせぎようもない別れだったのですが、それでもある時期には恨んだりしたものです。まして両親の憎しみ合いの中で傷つき、離婚という結末を体験させられた子どもの心を思う時、私は無力な子どもたちの父よ!母よ!との心の呼び声が聞こえて来る様でなりません。
”三つ児の魂百までも”とよく聞く言葉です。子どもの生活環境が人間形成においてどれだけ重要なことであるか、又その後の人生において大きく影響を及ぼすことは言うまでもありません。これらのことを考えると、私たち親は子どもを産んだ責任として物の豊かな時代、価値観の多様な時代に一番身近かな家庭環境を整えて、何を子どもに教え、どう生きていくかを日常生活を通して、自然に身につけさせたいものです。親は子を愛し、子は親を慕って成長していくのが当然のことであるはずです。その当然の権利が与えられない子どもたちをこれ以上増やしてはならないと願うばかりです。しかし、不運にして、その境遇に立たされた子どもたちよ!悲しみや苦しみに負けることなく強くたくましく、やさしく育って欲しい。自分のおかれている立場をしっかりと目をすえて、逃げる事なく、あなた自身の努力で、幸せを勝ちとって欲しいと切に望みます。私も今では二人の子どもに恵まれ、「お母さん」と呼ばれる幸せをかみしめております。この幸せを与えてくれた主人と子どもたちにそして私を支えてくれた周りの人に感謝し、これからも長い人生の喜怒哀楽を共にわかち合えるこの家庭を大切に大切にしながら自分を見失わず、素晴らしい「お母さん」になるためにも頑張っていきたいと思います。
未来に希望をもって!