読谷村史編集室 読谷村の出来事を調べる、読谷村広報データベース

1989年10月発行 広報よみたん / 5頁

(歴史物語二)冊封船・進貢船のこと 曽根信一

 沖縄歴史の特徴の一つは五百年もの間、形式ながらも中国の属国であったこと。すなわち琉球国王は中国皇帝の任命で、これを冊封という。約五百人前後の家来をつれて任命書を授けにくる皇帝の使者が冊封使。
 春の季節風と共にやってきて、秋風に押されて帰って行くその二隻の乗船を封舟(御冠船)という。
 それに対して国王から皇帝への貢物(臣下から主君への献上物)を差し上げに行く船が
進貢船。冊封船は国王一代で一回だが、進貢船は何回でも行く。(後には二年に一回と中国から制限された)実は進貢とは建前で本音は貿易の利益が目当て。当時中国では進貢貿易以外は認めなかったので、金閣で有名な将軍足利義満も「日本国王臣源」と名乗って貿易した。薩摩が首里城を略奪した時「日本二於イテモ終二見申サザル唐物以下珍敷物無限」これらを運び出すのに数日もか、かったと書いている。
 こんな富をもたらした中国貿易を始めたのは察度王。その第一回進貢使節として最初に中国へ渡ったのは、本村字出身の泰期であったことがおもろから推量できる。

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