読谷村史編集室 読谷村の出来事を調べる、読谷村広報データベース

1995年2月発行 広報よみたん / 6頁

【見出し】読谷山風土記(46)梵字碑 渡久山朝章

 渡具知の海べりの断崖の上に、写真で見るような石碑が立っています。元々は雨ざらしであったようですが、今ではコンクリート造りの小さなお堂に入っています。
 刻まれている字は写真でははっきりしませんが、■■■■■という五つの梵字で、「ア・ヴィ・ラ・ウン・ケン」と読み、漢字にすると「阿毘羅吽欠」となるようです。
 この五字は大日如来(宇宙と一体と考えられる密教の本尊)の真言(仏の言葉)で、「地水火風空」の五大を意味しているようです。
 インドの思想で五大は、全宇宙を作っている元としており、それがそろうと一切のものが成りたち、魔障(悪魔の邪魔)を退散させる力があるとされています。
 この見慣れない梵字ですが、沖縄では護符(フーフダ)やお葬式の白位牌の上の方などに書かれています。
 その梵字は、インドで完成された言葉、あるいは正しく良い言葉とされるサンスクリット(梵語)を書き表す字なのです。
 では、だれが、何のために渡具知にこの石碑を建てたのでしょうか。今のところまったく分かっていません。
 ところで、この碑と同じものが北中城村渡口の公民館広場の囲いの外側に建っているということです。それについて北中城村史に、「不思議なことに、部落の後方にある拝所の北側にある家々に火災や精薄児などが続出したのでユタの大城ウトがいうことに、拝所の下に地位の高い先人の遺骨がある。それを掘り出して祭れ、とのお告げがあったので、早速掘ってみると果たせるかな、お告げの通り、人骨や石器類が現れたばかりか、オン・アンビラ・ウン・ケンと梵語で刻んだ石碑も発掘したのである」とあり、「この石碑は明治三七年来島した考古学者・鳥居龍三博士の調査によると(中略)日秀上人が建立したものと見ている」ともつけ加えられているようである。
 日秀上人は尚真王時代の永世年間(一五〇四~一五二〇)に沖縄に来て、金武に千手院というお寺を建て、各地に仏像を安置したり経塚(お経などを埋めた塚)を築いたり石碑等を建てたりしております。
 だからと言って、渡具知の石碑も日秀上人が建てたという証拠や記録はありません。
 それはともかく、北中城の渡口と読谷山の渡具知と、どりらも「トグチ」ということはどういうことでしょう。
 渡口とは「渡し場」であり「港」のことです。方言でいうチグチ(津口)も同じことではないでしょうか。そうなるとこれらの石碑は、どちらも港の安全、航海の無事を祈って建てられたものと思われます。
 特に渡具知の石碑は比謝側の河口全体を見下ろす絶好の場所に建っています。
(本稿は曽根信一先生の論文を参照しました)

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