読谷村史編集室 読谷村の出来事を調べる、読谷村広報データベース

2002年12月発行 広報よみたん / 16頁

読谷村・石川市文化協会交流会 「恩義返しさびら」に参加して

読谷村・石川市文化協会交流会
「恩義返しさびら」に参加して

 終戦直後読谷村民の多くが避難先から石川に収容され、戦争による心身の疲幣を癒し人生を蘇らせた地、石川にご恩返しをし、市民の皆さんと交流を深めようと両文化協会が中心になって協議を重ね、去る十月十九日石川市で「恩義返しさびら」が開催されました。
 当日は大型バス二台に分乗し、午後一時に出発。石川市伊波・東恩納を経て市内銀座通りに入ると同通り会が作ったという「歓迎、読谷村文化協会様」の歓迎の立看板が目に入り感激のうちに目的地「世栄津」(その昔アーマンチューによってつくられたという伝説の聖地)に到着。そこでは石川ウスデーク保存会の皆さんや文化協会の方々多数の出迎えを受けました。早速当時の生活の水源地であった産井(ウブガー)や世栄津の石川宮へ御願をして後、老若女性四二人によるウスデークの奉納舞踊があり、続いて座喜味子ども会による棒術が奉納されました。平川市長の熱烈な歓迎のごあいさつに感激もひとしおでした。
 それから思い出の地である戦後共同墓地・戦後教育発祥の地城前小学校、石川市琉米文化会館跡、大洋小学校跡、石川岳等を見てその後歴史民俗資料館を見学しました。その後、当時の写真等を見て感慨も新たにしながら交流会場の中央公民館に向かいました。
 約三〇〇人の関係者が同ホール一杯に集り岳原宜正会長から「石川は命の恩人であり、私達読谷村民が元気で頑張っていることをお伝えしに来ました」とあいさつ、続いて伊波常雄会長から「今後とも交流を続けましょう」とあいさつがあり、安田慶造村長からお礼のあいさつ、ついで石川助役の乾杯で懇親会に移りました。
 舞台では、石川音頭の幕開けで始まり、前の浜・石川民俗保存会による蝶ボタンは久し振りに復活したとあってユーモア溢れる舞踊は衆目を引きつけました。一方、読谷からは瀬名波芸能保存会によるしゅんどう、波平芸能保存会によるムンジュルーそして楚辺芸能振興会による金細工がそれぞれ披露され、文化交流も佳境に入り、その間新城紀秀・松田盛康両氏による「思い出を語る」等があって時の経つのも忘れ和やかなうちに懇親会は終り、別れを惜しみながら石川を後にしました。
 今年は戦後五十七年を迎え、復帰後三十年の節目の年にあたります。かつて頬をなでたあの風、かつて飲んだあの水、かつて踏みしめたあの地、かつて情を受けたあの方々と触れることが実現でき、改めて平和の尊さを噛み締めながら、この度お骨折りをいただいた伊波常雄会長・平川崇賢市長はじめ会員、市民の皆さんに深く感謝を申し上げるとともに、ご参加をいただいた皆様に対し心からお礼を申し上げます。ありがとうございました。
文・読谷村文化協会
    監事 古堅宗彦

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