読谷村史編集室 読谷村の出来事を調べる、読谷村広報データベース

1957年1月発行 読谷村便り / 4頁

読者の声 ☆読谷村便りについて 宮平良秀

読者の声
☆読谷村便りについて
宮平 良秀
 リクレーションが活動のエネルギーとなり新聞の四面記事が新聞への愛着を醸す画家の作品には誰もが驚嘆するが、一年生の図画又微笑を誘う。私なりの幼稚な所見を書いたが、これが読者の苦笑を誘い、消化を助け、いくらかでも村興しのエネルギーとなればと思い投稿する。
 麦の芽生える頃になって思い出したが、幼ない時良くヒランメーなるものを食べたものだ。大きい鍋に入れ、相当の燃料と労力と時間を費してできたものだ。二回、三回と食べさせられると、余り美味しいものではなかった。ヒランメーを見て渋い顔をするのが常だったが、後にヒランメーが渋い顔の代名詞になって流行したものだ。さて、今でも麦の圃場をみると、ヒランメーを連想する。その麦がソーメンとなり高級な菓子類となり、我々の手の届かないビールとなることを知りつつも、やはり麦の粒を見て、クリスマスケーキやビールを思う殊勝な気持ちに離れない。我々にはやはり麦、即ちヒランメーである。只思うのは、ビールを好む人が麦の粒を見たら、ビールを思い、ケーキを思うだろう、と言う事である。
 それにしてもあの黄金の粒が、良くもいろいろの形や質に変るものと、今更驚かざるを得ない。凡そ物というのは、使う人に依っていろいろな役目を果たす。例えば、ビンがあれば或る人は花生に使い、或る人は水筒の代用に使い、或る人は喧嘩の武器として使う。
 我々の周囲にもいろいろな刊行物や■■等があるが■■■ては貴重な資料となるに拘わらず、我々には活字の集合であり、包装紙になれば良いほうである。我々の見方(麦を見てヒランメーと思う)にもよるが、何故か自己の主観に基づいた知識の押売りの感じで親しみがないのである。
 さて読谷村便りも既に七回目。村も情勢を知らしめ明るい村建設の大きな礎となっている事に感謝し、又、一、一がり版で頑張られる編集者の方に心からの敬意を表すものだが客からの難え又読者の目をひきつける工夫も必要ぢやないだろうか。村勢の要覧も全部はまだ報知されていないのだから、無理かも知らないが、何も紙面を増す等と言うことではない。例えば五回に報知するものを、六回に分け営農ニュースなり、公民館便り、村外のトピックス(例えば与那城村の納税パパヤーや、教育バナナ等の如き)なり入れたらどんなものか。繰返して言うが、四面記事が新聞への愛着を醸す紙上にもリクレーション的、又は想いの一時があってもよいものだ。

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