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1957年10月発行 読谷村だより / 1頁

村民所得二億二千五百万円 四三%は軍雇傭者所得

村民所得二億二千五百万
四三%は軍雇用者所得

 空気や水のようにロハで然かも自由に得られるものだけで生活出来ない事は誰でも知っている通りで、現在われわれの住んでいる社会はロビソンクルーソーのような原始的な生活は不可能であり、その暮しの仕組みや働きは大変複雑であるのでわれわれをとりまいている経済の問題は誰にとっても非常に切実な問題である。経済の状況についてその仕組を知ることは極めてむずかしい事である。そこでわれわれの経済はどうなっているのかを知るために最も便利な方法として国民所得の推計が行われている。
 国民所得とは極く常識的に簡明に言い表すと国民一人一人が一定期間(普通一ヶ年)において得た所得を合計したものであるという事が出来る。しかし注意しなければならないことは所得の意味である。ここでいう所得とは唯単に収入という解釈ではなく、その期間において或る国の居住者によって生産活動が行われ、その結果として得られる現金現物の純収入、あるいはもうけであるということが出来よう。琉球政府においては一九五三年以降住民所得を推計し公表されている。
 以上国民所得の概念を明らかにしたのであるが同様にして読谷村に居住するこれらの経済主体の得た所得の総計が読谷村民所得であり、国民所得と大体同じ概念に基づくものであるといえる。しかし村民所得の推計は戦前戦後を通じて最初の試みであり、統計の基礎資料の不備や推計技術の不慣れ等で多少の推計誤差もあるかと思われるが村民自体の経済の循環構造を可能な限りにおいて把握し村民の財政経済施策の樹立に供する目的で村民所得の推計を行った次第でより多大の御鞭撻を願えば幸いである。本村の経済は戦後著しい変貌を示した。これを産業構成面から見るとはっきりした形で表現される。分配所得の産業別仕訳は次表のとおりであるが、第一次産業(農業・林業・水産業)の一九・三%第二次産業(建設・製造業)は僅かに六・三%に対して第三次産業(卸小売・金融・不動産・運輸通信・サービス業・公務団体軍雇傭)七四・四%の高率を示している。この構成を全琉に比較すると第一次産業においては全琉二三・二%
(二面につづく)
(二面より)
に対し一九・三%第二次産業では全琉一六・二%に対し六・三%・第三次産業では全琉六○・六%に対し七四・四%となっている。即ち第一次第二次産業では全琉より低率であるが、第三次産業では全琉よりはるかに高率となっている。
更に業態別にみると農林業所得は一八・五%にすぎないが軍雇傭者所得は四二・九%という驚異的な高率を示している。(全琉の軍関係雇傭者所得は一○・四%であり、農林業所得は二一・四%である)。以上の構成から見られるとおり本村んの経済が全く基地という特殊性から得られる軍雇傭依存であり非生産業が圧倒的に膨張した反面生産業は極めて不振で不安定な経済構造であるといえよう。
 産業所得の構成は前述したとおりであるが、産業別就業者数の構成と比較対照して見ると、生産業の所得額構成比二○・二%に対し就業者構成は五五・二%を示している。即ち四、○一二人の人口が生産業(主として農業)に従事してその所得は四五、五四二、○○○円にすぎない。
 これに対し非生産業の所得構成は七九、八%に対し就業者数構成は四四、八%である。特に農業就業者は五四%であるがその所得は一八、五%で極めて低所得であり生産と非生産業の所得の配分は均衡を欠いでいる。
 これは農業従事者のほとんどが老婦女子で生産能力の低い層で示しており、面も経営が零細で粗放経営であることに原因していると思はれる。軍雇傭者は所得額においても四二、九%を示し就業者構成も二九、九%の高率で本村経済の支柱となっている。
 所得を分配面から見ると総所得額の六○%勤労所得で占められしかも勤労所得の七一%総所得額四二、九%が軍雇傭者の所得である。
(前表参照されたい)

※「村民所得総括表 分配所得 産業別所得」「分配所得の産業別仕訳表」は表のため、原本参照。

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