読谷村史編集室 読谷村の出来事を調べる、読谷村広報データベース

1958年1月発行 読谷村だより / 4頁

原山勝負 (部落共進会について)

原山勝負
(部落共進会について)

 此の行事は沖縄独特の農事励法で、今より百二十年前(文化十一年)尚顕王より表彰せしられた豊城間功、高安村の人前地頭代(現村長)座安親雲上が嘗って根差部落の提役在職中、村内の疲幣挽廻策として発案したもので、後之を間功に及ぼし各村へ下知人一名宛を配置して毎年旧四月と八月の両度田畑耕作方の勝負を行った結果、農民の競争的気分を作与し、農事の一大進歩を催すに至った。是れ即ち原勝負の起源である。
 後世中頭郡の越来、美里読谷山では之に山を加えて原山勝負と称して戦争前まで実施せられたのであるが戦争の為中絶し、戦后今年から本村では又この行事を初めているが山がなくなり又もとの原勝負になったわけ。藩庁時代は田地奉行の指揮下に地頭代、惚耕作、惚山当として審査項目を選定せしめ、間功吏員をして審査項目を選定せしめ、間功吏員をして審査項目を選定せしめ、間功吏員をして此の標準に依り間功(現村)の田、畑、山林、道路、橋梁、宅地、学童出成績、納税成績等を審査せしめ、更に田地奉行自ら各地を巡検して督励せしめ、負けた部落は名誉毀損的一種の徴罰を行ったので、係員は之を甚しき恥となし随って其の成績も良行であった。

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