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1959年1月発行 読谷村だより / 1頁

麗しい村民性のあらわれ

麗しい村民性のあらわれ 
知花 英康

 矢内原東大総長は戦後沖縄の変りはてた容相を御覧になって
 山を崩し 畑を埋めし 沖縄の 変わらぬものは 海の色なり
と言われたそうだが、わが郷土読谷も座喜味城を始め蔡温の偉業を偲びし県道筋の松並木や、伊良皆から大木、楚辺、都屋の後方、波平のハンタ原、高志保のダラ原、瀬名波ウガンから長浜の前の坂に続いていた中部一帯の松林も、又防潮林として海岸一帯に植付けてあったアダンやヤナブ、木麻黄等も無くなって、砂利採り場となり、石穴となり或は荒れはてたススキが原となって、実に無味乾燥の殺風景となった。それで人心もすさみ、廃頽的刹那主義所謂デカタン的になりはせんかと憂慮していたが、幸に村民には祖先伝来の麗しい美質は今尚失わず、生活が安定するに連れて、各戸宅地を利用して狭いながらも花園を作り、朝夕の暇々に手入れして目を楽ましめ希望を持ちつつあることは誠に麗しい村民性の発露である。中にも儀間の山内昌憲君が自然の岩を利用しての庭園、喜名の松田徳太郎君の各種の盆栽等実に見事である。私は今頃斯る上品な趣味と優秀な技術者がこの殺風景な読谷にいたかと驚き且つ喜んだのである

由来
花の好きな人に
悪人はいない

と古人も言われたが四季折々に美しい花を咲かして目を楽ましめ心を喜ばしてくれる庭園は働く人の明るい希望の泉ともなり、尚花を愛する事はやがて人生を愛することになる。新聞報導によれば近頃飛行機を利用して沖縄に花の輸入が毎年激増しつつあるとの事であるが、松田徳太郎君が近来之を企業化しつつある事は誠によい思いつきであるとその発展を祈ると共に村民全体が更にその美質を発揮して全村緑化を期待する次第である。

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