読谷村史編集室 読谷村の出来事を調べる、読谷村広報データベース

1959年9月発行 読谷村だより / 1頁

私たちの村の人口は-実態調査より-(1)

私たちの村の人口は
-実態調査より-(1) 

 「村だより」の前号でもうふれましたが、今年の六月三十日現在で一斉に実施しました各種の調査は、村民皆様の御協力に依りましてスムーズに運び、今役所では統計係職員を中心に集計事務に専念しております。
 遠からず私たちの村の人口、社会、経済、文化などいろいろな分野にわたる基本的な統計資料を年ごろな見やすい形で皆様に提供することが出来ることでありましょう。
 数字でもって村の現状をはっきり知って、これを縦から横から検討し批判し合って、どうすることが村民のためになるかという計画をつくりまして皆様と共にそれを実行し、今後の産業経済、教育文化の発展に役立てるように精進したいと思います。
 今のところ人口調査の集計が終わったばかりでありますが、その一端を皆様の御参考に供したいと思います。よく聞かれる事でありますが、読谷村の人口は?一八、九〇〇人とすぐ答えられる人はそう多くはありません。詳しくは覚える必要はないと思いますが約一九、○○○人という程度はやはり知っておきたいものです。
 一九五九年六月三十日現在で読谷村の総人口は一八、九三二人で男は九、○一四人、女が九、九一八人となっていますから「男やあまてなかたなかー」ではありません。
 字別には波平の二、三二九人をトップに楚辺が二、○四九人、最も少ないのは上地の八○人となっております。
 次に平均世帯人員つまり世帯の規模は全琉平均の四、八人にたいして読谷村は五人で○、二人だけ多いことになっています。
 人口を年令階級別にみますと総人口に対して○~九才が二八%、一○~一九才が二○% 二○~二九才が一八% 三○~三九才が一○% 四○~四九才が八% 五○~五九才が六%、六○~六九才が六% 七○~七九才が三%、八○才以上が一%となりこれを男女別年令階級のグラフの型からみますと、ピラミット型で多産多死型と称せられ西欧諸国の先進国には類の少ないか型状であります。しかし日本や沖縄の場合は第二次大戦という特殊な社会異変によって人口構造にも多大な変化が加えられ自然の状態ではないことはうなづかれと思います。

利用者アンケート サイト継続のために、利用者のご意見を募集しています。