読谷村史編集室 読谷村の出来事を調べる、読谷村広報データベース

1960年4月発行 読谷村だより / 1頁

就任の御挨拶

就任の御挨拶

この度、前村長伊波俊昭氏が四月八日で、任期満了に相成りまして、不肖私が其の後を受けて四月九日から就任することになりました。つきましては本紙面をかりて就任の御挨拶を申し上げさせて戴きます。
私は栄誉ある伝統に輝く読谷村の、栄誉ある職務に就く事が出来ました事を甚だ光栄と存ずる所であります。特に今回の選挙で全村民有権者の御支持を一身に戴きまして、投票を行うことなく、即ち無投票当選ということは身にあまる最上の光栄であります。村民の皆様、有権者の皆様に厚く厚く御礼を申し上げます。
私達の読谷村は現在のように繁栄の有様を呈して居りますが、「喬木は風に吹かれる」のたとえで、村が繁栄すれば繁栄するに従っていろいろな困難が前途に横たわることでありましょう。先輩村民、為政者の努力によって築かれた伝統、三十八年という長期に亘る地方自治行政の経験者、円満な人格者であられた前村長伊波俊昭氏の善政を継いで私の如き浅学菲才で弱輩の者が其の局に当らねばならぬということを考えますと如何にも心細い話しでありますが、併し一方飜つて考えて見ますと、悲観すべき事はないと感ずるのであります。それは前村長に寄せられた村民の信頼と御協力が私にも与えて戴けるように、全村民の、意気に感じて、正直に、真面目に働けると確く信じているからであります。
私の経験と申しましても、終戦直後の二ヵ年間建設時代に村の産業課長、虚脱状態にあった過度期の青年会長をつとめ、その後は琉球政府の経済局と企画統計局に八ヵ年間働いただけで、その後四ヵ年が即ち助役としてつとめさせていただいたのでありますから、それほど自負する事もありませんが、私は誠心誠意に働くという事を第一の信条としていますので、前村長の補佐役としても出来るだけの努力をおしまず働いたということだけは、誰に恥ずる事なく申し上げられると思います。然し乍ら、不肖の身のいたす処で村民の皆様にも、議会の皆様にもいろいろと御迷惑もかけ、御期待にそえなかった事も一度や二度でなかった事を遺憾に思います。読谷村では前村長の就任二年目、一九五七年に、村民生活の安定向上、将来発展のため経済基盤の強化等の趣旨に則りまして読谷村経済振興基本計画を樹て、村民皆様の全面的な協力と村議会の積極的な指導鞭撻、それに琉球政府や民政府の援助も、戴いて、農業基本施設としての農道や排水路の整備、村民の生活文化向上に直接影響を及ぼす飲料水供給施設の強化、公民館その他各種村内団体の育成助長、生産増強のための諸施策、教育施設の強化等が経済振興計画の線にそうて推進実践されておりますが、まだ縮についたばかりでありまして、当村ではなお多くの懸案を持っているのであります。
即ち
1、最大多数の村民が従事している農業の振興を図るためには、農道、排水、防風防潮林、溜池等の基本施設の整備、農業生産増強のための肥培管理の指導強化

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