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1960年8月発行 読谷村だより / 10頁

みんなでやる生活改善 第二部封建的な因習

みんなでやる生活改善
第二部 封建的な因習

一、まづ、私たちの頭のなかに、今なお巣くつている封建的な因習が、いかに私たちの生活改善を防げているかを考えてみましょう。

1、世間体を重視し、個人生活を軽視する
(イ) 外見的な体裁や体面にこだわり、世間の批評を非常に恐わがる。
(ロ) 自分たちの生活内容を豊かにすることを考えない。だから個人的な生活、家庭的な生活はまことにみじめだ、こうした生活のありかたは本来転倒だが、この考えかたがなかなか改まらない。

2、家庭の中の身分制度(封建的身分制度)たとえば、家族の間にも次のような尊卑の区別があって、殿さまとけらいのような絶対的権威と服従との関係でつながれている。
(イ) 男尊女卑の気風
(ロ) 老人の権力が強い

3、封建的制度を支えるために、支配者に都合のよいようにつくられた思想
(イ) 下積みされた庶民の不平が爆発しないように!!身の程を知る!!あきらめの思想
4、封建的因習を商人や、ユタが利用し、世すぎ、のタネにしている。時には迷信を助長する傾向もある。そこで、生活改善をしようとすると、この人たちがじゃまをする。以下、これからの点について、一つずつ考えてみましょう。

二、世間体への見栄と気兼ね。
昔の殿様の時代には、おもて体裁をととのえ、家柄を誇示して、百姓や町人を威圧しておく必要がありました。だから住いでも衣食でもすべて格式に応じて外見の体面や体裁を非常に重んじたのであります。
 こうした封建時代からの習性が、なかなかぬけきらないで、自分たちの生活の幸福はギセイにしてでも外面の体裁をととのえることに苦労し、世間の評判を何よりも恐れます。
たとえば、住生活においてザシキや玄関がみすぼらしいと、「体裁が悪い」といって、これにはお金をかけてりっぱにしますが、台所や風呂便所等をきれいにし、これにお金をかけることは「もったいない」とか「ゼイタクだ」とかいいます。衣生活においても、外出着にはお金をかけ、流行をおうに忙しいが、家庭のふだんぎや夜具を小さつぱりときれいにすることは考えません。食生活において、世間づきあい(社交生活)においてすべてそうです。よそえの見栄、世間体ばかりにとらわれて、自分たちの個人生活をもっと豊かに、幸福にすることを軽んじています。ことにはなはだしいのは冠婚葬祭で、娘が年頃になると、食うや食わずでそれこそ身をけずるおもいで節約して、嫁入りの支度に一生けんめいです。そしてどこから算段してくるのか、とにかく数百弗のお金を工面してきます。結婚の支度や披露をハデにするのは、娘の幸福というよりも家の体裁を重んじ「ひとにみてもらいたい」とか「ひとに笑われないように」という気持ちの方が強いのであります。
「それだけのお金を、ただ世間体だけのために使ってしまうのはもったいない、それよりも新家庭の生活に役立てたらどうでしょう」といっても、頑として聞きいれません。娘やムスコたちの幸福よりも、自分たちが世間から笑われることの方がこわいのです。
ほんとに娘がかわいいのだつたら、幼い頃からの教育にもっと力をいれて、知能を身につけてやるべきではないでしょうか。この問題の根源をもっと真剣に考えてやるべきではないでしょうか。娘の嫁入りのために、食うや食わずで節約してしたくをととのえるだけの熱意さえあったら、住宅の改善だって、ほかの改善だってできないはづはないとおもいます。だから生活改善のできない最大の障害は、お金の問題ではなくて、やろうとする熱意がないこと。それからまた世間体への見栄と批判への気兼ねばかりにこだわって、自分たち個人の真の幸福を求めることをはばんでいる封建的なものの考え方、そうしたことを外部から縛りつけている社会の封建的な因習にあるとおもます。

三、家庭生活を軽んずる。
私たちは、これまで一般に外での交際ばかり重んじて、自分たち個人の生活、ことに家庭生活を軽んじてきました。これは私たち沖縄人の家庭生活に対する考え方と、欧米人の考え方とを比べてみるとはっきりわかります。欧米では何よりも家族と共に楽しいひとときを過ごす。これは欧米人にとって当りまえのことですが、わが沖縄ではそれが通用しません。外での交際が悪いと、
「あれはつきあいを知らぬ者」「妻君に甘い」などといいます。私たちが家庭を大切にし、家族と共に生活を楽しむのは、人間生活の当然のことで、誰に遠慮もいらぬことです。それを軽べつするのは昔のサムライが!!腹がへっても飢もじくない!!とやせ我慢をはり、家庭に未練を残すのは武士の恥とした。あの封建性が私たちの頭の隅にこびりついているのではないでしょうか。
すなわち、昔封建時代においては、サムライは殿さまに仕え、戦場へ出て武勇を競いました。そして武士は家庭のことにかまっていると忠義がおろかになるといって、家庭のことや、妻子のことを口にするのを男の恥としました。この習性が残っているから私たちの生活の基地である家庭を粗末にし、これを省りみぬのが英雄豪傑であるかのように誤って考えています。このように家庭生活を軽んじているから家庭生活を改善し、向上をはるかに冷たいのではないでしょうか。

生活改良普及員
宮良 国子

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