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ス」であると如何にも含畜ある語句がある。私は曽てあの儀間渡慶次の立ちのき、ボーロ飛行場拡張の時に比嘉主席は村出身のよしみで来て貰って色々話し「ここまで行ったら私達は布哇のカナカ人の轍をふむのではないか」と云ったら秀平氏は「歴史ある国である、まさかそうはなりますまい」と答えていたのでその言を信頼し、又私もアメリカはキリスト教国である、聖書の「求めよさらば与えられん、尋ねよさらば見出さん、門を叩けさらば開かん」という事は夙に承知の筈であり、尚聖書のマタイ伝六の三四「明日のことを思い煩うな明日は明日みづから思い煩はん、一日の労苦は一日にて足れり」の語句を思い今日に至って居る次第であり又村建設以来米人とのつき合いも相当あったが立派な人も多く今にその恩愛を忘れないので真の米琉親善はその辺から生まれるのであると思うのである。それで吾々が強く正しくにこやかに噫せず媚らず求むべきは求め叩くべきは叩き正々堂々とやっていけばいつかはこの窮境を打開して朗かな時期が来ると思って居る次第である。
私は最近曽ての糖業振興の競争相手であった南風原村を視察し尚東風平、具志頭まで足をのばしてあの辺の復興ぶりを見て本部半島を一周して今帰仁の稲、甘蔗、パイン畑、製糖工場、通路並木等を見てさすがは今帰仁だと頭が下がったのである。飜って郷土読谷を見つめると、手も足も出されない窮地に追込められながらもその旺盛なる生活意欲は各方面にあらわれ、彼の喜名の仲村柄実厚君父子の原野を開拓しての果樹園計画、宇座の新垣昇君等の砕石工場、同宇座の知花スミ子さんの製塩場等何れも現下読谷の窮境に立ち上っての奮闘であり、又去る十二月十九日の波平総決起大会の展示会に戓る一農夫が箱庭式に甘蔗、蚕豆、甘蔗、胡瓜の栽培模型を出品してあるのを見た、別に説明書もなく只東西南北と方角を示したのみであったが私は之は読谷村の現在、将来を指示したものであると非常に興味をもって見たのであるが果して二十五日の褒賞授与式には篤農家として表彰せられて居た。又最近戓る青年の結婚祝に案内を受けて行ったがその家は一農家で別に何もかわったことはないが来賓と云い、接待ぶりと云い、又ごちそうと云い、生活改善の声高き今頃実に申分ない郷土に即した立派な結婚祝だと感じたが、中にも特に私が感心したのは欄間に「忍耐」・・・ふまれても根づよく忍べ道芝のやがて花咲く春も来るけん」。と大書した額縁であった。之は本人が書いたもようでなく買って来たものではあるが数多い商品の中からよくも之を選び出して来て居室に掲げその生活指針とせる青年の気持は流石は読谷魂の発露であると感心した。是等は只その一部であるが斯くして培はれた村民の自覚は彼の僅か三ヶ年にして閉鎖の止むなきに至った製糖工場の残骸を見ながらも甘蔗の作付反別は減りはせず増して居ると聞き殊に肉豚の移出は全琉一だとの朗報もあり尚、孝行は百行の基で大木の砂辺ミツ子さんのような孝行娘も居る。決して悲観するには及ばぬ、今通り当局の熱誠と村民の和喪協力により彼の「大谷渡り」や「黄金桂」の如き旺盛なる生活意欲をもって邁進すればいつの日にか現下の窮境を打解して朗かな時期が到来し星移り世は変れども読谷は意気揚々と進み来れりと全村民が手を握って喜ぶこともあろうと私は切に期待して居るのである。
(一九六○年十二月三十日)