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1961年2月発行 読谷村だより / 1頁

八重山移民国を訪ねて 

八重山移民国を訪ねて 
収入役 池原昌徳 
経済課長 玉城真順

 政府の計画移民に参画し一九五二年八月八重山石垣市字米原に第一回移住し、一九五四年十二月には大浜町字野底美野に、一九五五年には字伊原間明石にと、三回にわたり合計五七戸、二九三名の本村民を送り出したことは御承知の通りであります。
 移住以来、米原部落が八ヶ年美野が六ヶ年、明石が五ヶ年を経過しておりますが一九五七年五月に本村議会議員団が第一回訪問を行っており、今度は第二回目で区長団の訪問が実施されたのであります。訪問の目的については前回と同じく移民地における産業、経済、教育、文化についてどの程度発展したか、それと移民団を激励して所期の目的を早期実現せしめようということであり、更に本村における今後の移民計画と奨励が主な目的でありました。従って一九六○年十二月十日の第四回定例議会において区長側要望の八重山訪問の経費について提案され、原案可決となりました。それで早速準備を進めましたら年末で部落行事の多い忙がしい時期のため公私とも都合悪く区長側十五名の予定が十名となり役所から二名計十二名が本決りとなったのであります。いよいよ十二月十六日出発すべく上船までしたのであるが大陸高気圧の張出しによって天気がくずれ四日間も延期させられとうとう二十日午後五時かねて乗船予約の宮古丸で泊港を出航翌二十一日午後八時八重山石垣港に上陸、宮平旅館職員の案内で当旅館に投宿し早速米原、美野、明石に電話でその用件を連絡したのであります。では次に視察員と日程表を掲げ移民団の状況について見たまま感じたままをお知らせいたします。

喜名区長 知念政仁
座喜味〃 松田善徳
伊良皆〃 伊波勇一
渡慶次〃 玉城信昭
楚辺〃 松田善康
渡具知〃 池原善助
比謝〃 高良元徳
大湾〃 松田盛繁
大木〃 砂辺松栄
比謝橋〃 宮城松良
収入役 池原昌徳
経済課長 玉城真順

視察日程
月日 事項
十二月二○日 午後四時宮古丸乗船五時出港
十二月二一日 午後八時八重山石垣港上陸宮平旅館に旅装をとく
十二月二二日 午前十時地方庁開発事務所へ来島挨拶 午前十一時米原へ向う午後四時まで圃場及学校等を視察後懇談会
十二月二三日 地方庁及開発事務所の車により午後九時美野へ視察懇談を行い一時二○分明石へ午後六時まで懇談東廻りと西廻りで石垣へ
十二月二四日 午前中自由行動 午后四時より地方庁開発事務所の係と各開拓圃幹部との懇談会
十二月二五日 午前七時乗船(八汐丸)
十二月二六日 午后三時宮古平良港入港海上注意報に接し宮古で一泊
十二月二七日 午前中平良市見学午後四時出港
十二月二八日 午前七時泊入港

米原部落
 十二月二十二日早朝米原の部落会長、上地源吉氏と宮城照明氏、又吉亀作氏が旅館まで迎えに見えたので大喜びのうちに早速第一日程にとりかかりました。
午前九時八重山地方庁を訪問、仲本庁長に面接し開発事務所に挨拶して後、山田バスに乗り石垣島一周線西コースで石垣市を出発、名蔵橋を渡り高低起状の景色、森林の中を崎枝、川平部落を通りオグデン道路に沿ってバスで約四十分その距離約二万七千メートル石垣島の裏七重八重に重なるおもと連峰に包まれた米原部落に着きました。公民館前で下車すると迎えに見え

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