読谷村史編集室 読谷村の出来事を調べる、読谷村広報データベース

1961年8月発行 読谷村だより / 3頁

水源の調査結果報告書 一九六一年度

水源の調査結果報告書 一九六一年度
 一九六○年の六月一日二日三日四日の四日間村内の水脈調査を経済局開拓課が実施し、長浜の海岸に湧出する水脈、瀬名波ガーの湧水並に波平の仲折の湧水何れも海岸線に湧出している。これらの水脈調査を行うと共にFBISのボーリングの揚水量及びこの地域一帯の水脈図をEBISのチーフエンジニアと共に検討したが、確実な水脈をキャッチ出来ず波平仲折の湧水口を辿って約六○○米東方の犬桑原一帯を電気調査して水脈図を作成、六月十三日から政府の機械を操出してボーリングテストを開始六月二十九日迄作業を続けたが地下水を掘り当てる事は出来なかった。
 六月二十七日犬桑の壕内調査を行い入口から約八十米位の所に約五坪深さ一・三米位の自然溜池があり常時水が満載して壕づたいの流れによって自然排水溝が出来て居て開拓課の仲島機械係長に調査をしていただいたが、モーターを使用しての揚水調査を行っていないのではっきりした水量は不明である。
 又七月一日から村内北部の渡ヶ次、儀間のさくい井戸四ヶ所(町田宗俊、友利元偵、山内球造、与那覇清)何れも現在使用中のもので水量豊富な井戸を一時間四○○ガロン揚げポンプでテストした結果各井戸とも三十分乃至一時間の水量しかなかった。
 先に政府立合でテストした、瀬名波の新垣賀真氏宅の井戸、北部の簡易水道工事の水源予定地を六一年二月七日八日九日の三日間ポンプ取付の為にさくい作業を行って約二米程深く掘り当初のテスト同様な方法で二月九日にテストした結果一時間六○○ガロンの揚水量に対して約一米水量が減った為に水源地にする事を見合わせた。
 二月に入って儀間の町田完光、渡ヶ次の安田慶造宅井戸の揚水調査を行ったが一時間六○○ガロンの揚水量に対して水深は変わらず一日に一万ガロンから一万二千ガロンの揚水可能な日途がつき政府に調査結果書を提出したが一週間以上に亘るテストでないと信憑性が薄いとの事だった。
 大体以上の調査をまとめて三月二十三日、二十四日に水源調査に来村した台湾省地下水課庭処の副処長唐民氏と開拓課の幸地、宮里両氏に検討して頂き更にボロ飛行場内のメイス基地のボーリング、元軍使用の楚辺東方の水源地、大木のボーリング跡等を調査、嘉手納航空隊タイベースのワーターポイントで資料を蒐集して二十三日午後から同所の技術官を交えて本村の水源を分析した結果地下水に乏しい事が判明した。
 このような調査に基いて村を一円とする水道計画を満たし得る水源のない事を民政府に報告、四月十日に民政府経済開発部のバーブアン氏と水道公社の又吉技術官がきて、技術的調査をすると共に同目FBISとも受け合ったがやはり水源に乏しい事を了承して頂き今後の村の水道計画には公社の水を割譲する事を約した。

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