読谷村史編集室 読谷村の出来事を調べる、読谷村広報データベース

1962年11月発行 読谷村だより / 1頁

私たちの生活設計

私達の生活設計

※くらしとは
 くらしということばは辞苑によると、口すぎ、食物を得て生活すること、よわたり、糊口などという説明がみられる。私達がふつうにいうくらしとは、食べることを中心とする日常生活のいとなみのことである。私たちはふつう一定の住居を本拠とした家庭生活によって、さまざまないとなみを日々行っている。人間の日常生活は、衣、食、住、睡眠、排泄、入浴といった生理的ないとなみと清掃、洗濯日課(生活時間)などの社会的いとなみの連続である。日常生活のいとなみの中で人々は生れて育って働いて老いてゆくのである。日々のくらしを正するということは人生にいきがいをもとめることであって生活を高める上にきわめて大切なことといわねばならない。くらしのよしあしとは、日常生活のよしあしということで、日常生活が不自由なく順調におこなわれている人は、ゆたかなくらしの人とよばれ、生理的生活に必要なものすらが思いのままにならない人たちは貧乏とよばれる。

※くらしのはたらき
 家庭の日常生活は社会の発展とともにその働きがかわっている。かつては生産が家業としてもっぱら家庭で行われてきたが、資本主義の社会になって生産が家庭から社会の手に移るようになった、そのため家庭はもっぱら育児と寝食の場となり、社会によってつくられた物を家庭生活で寝食や育児のため消費することになった。労働者や、サラリーマンなど勤め人の家庭の日常生活は寝食と育児のみになってしまった。
しかし現在の沖縄の社会には、農業、家内工業、小売店のように生産や、流通の家業がいまだ家庭生活から分離してしまわないものが多く残っている。主婦の家事労働とは、寝食と育児がその中心をなすことになる。主婦の日々のいとなみは、社会の労働力の生産と再生産をつかさどる社会的に有用な労働である。これまで家事といえば直接収入をともなわないために社会の人々は、その家庭婦人すらが社会的、生産的役割を十分に理解しなかったために、これを軽視してきた。とくに男子が炊事や洗濯などに手を出すことはいやしいことにされ、面トにかかるという封建的な意識がつよく残っている。
ふだんは粗衣、粗食にたえて働き、もの日や、つきあいの改った生活は世間ていを気にし、みえをはって金をかける風習は未だ存在している生活の貧しさがそうさせるのではあるが、生活についての古い考え方が、こうした非合理なくらしの改善をはばんでいるのでもあるそのため農家の人たち、とくに婦人は過労と休養の不足から、顔にしわや、しらがが出やすく、そうして腰も曲り早くふけてゆく、家庭の日常生活を、労働力再生産の場として大切にするという新しい生活意識をもつことは、主婦が日常生活を新しくみなおすばかりではなく、ひいては人間として台所の苦役から自らを解放することにもなるでありましょう。

人間性の尊重
 長い間家族制度によって律せられてきた日本の家庭が、家族制度を廃止して夫婦と親子を中心とする血族的な生活共同体としてこの近代的民主的な家族生活をいとなむことができるようになってからまだ十年の年月がすぎたばかりである。たしかに法律の上では家族制度が廃止されはしたものの、夫婦、親子などの関係には今なお家族制度によって培われた非民主的な生活意識が残っていて、妻は夫から、子は親から人間性をしばられているものも少くない。
家庭の中で人間性が解放され、新しい民主的な夫婦や親子関係がつくられてこそ私たちの社会も民主化されて豊かな生活が生れるのであるから親たちは自分のうけた忠孝の修身教育によってつくられた頭を切りかえて、民主主義社会の理解を通して子供を理解し、子供は親を古いと単に非難することでなくて、親の生きた戦前の時代と思想を理解するように努力して親子がたがいに理解しあうことが何よりも大切でありましょう。

家庭の生活設計
 妻も子もすべての家族が一人の人間として平等にその人格をみとめあう民主的な協同生活集団としての新しい家づくりを、私たちは生活設計とよんでいる。そ

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