読谷村史編集室 読谷村の出来事を調べる、読谷村広報データベース

1963年3月発行 読谷村だより / 4頁

第六回生活改善実績発表会より(四) 暮しの光を見出して 渡慶次光グループ 儀間トミ

第六回生活改善実績発表会より(四)
暮しの光を見出して 
渡慶次光グループ 儀間トミ

動機
 私がグループ員になりましたのが五六年七月でかれこれ満五ヶ年五ヶ月になります。当時の私は一身上のことで生きる望みさえなく今日過ごしたら明日はどうして暮らそうかと生活の方針もなく生き抜く力もなく十二才の娘に三才の息子二人の子供をかかえて路傍の草同様なおももちで明け暮れ悩み過すことを生活の日課とします私達親子は今後どうしていけば人並の生活が出来るだろうかいやそのような事が果して私に恵まれることもあるだろう等と自問自警し心をさかるる思いで苦しい毎日を送って居りました。
そうした私の生活に実家の母が見かねていろいろ慰めを与えてくれたのも無駄で心のカットウを続け随分心配をかけたものでした。親として何時までも娘と親子の立場をそのままにおくわけがありません。
或る日のこと伯母が訪れて強制的に教会にさそわれました。その時に人生についていろいろと説得に熱意をもって解き聞かし生きるための人間愛と忍耐力に対する絶対的な人として求む道順を悟って下されました。そうして心のいたみをようやく切り開く事が出来ましてその後はすっかりと生活の方針をやっと見出す事が出来るようになりましたので部落の公民館の集会にも足を運ぶ気分が出て生れ変った第二の人生スタートを切ったのでございます。それまでは婦人会の組織活動面もよく分らなかった私でございました。毎日の苦しい生計も月日を追ってますます苦しくなる一方で何とかして切りぬけなければいけません。
そこで考えだした結果お隣の方がパナマ帽子を編んでおられるのを幸に私も編んで少しでもモノにしようと帽子編みに努めましたがなれない仕事に実収入を夢みたとたん体をこわしてしまい切角の編賃も薬代と言うあり様にたまらなくなりとうとう編仕事も止める事にしましたがと言って明日からの生活はどうなる事かと考えている中に新しい仕事を見つけ現在も続けている米軍部隊のPM任務にたずさわる事が出来ました。それからと言うものは社会生活がどのような状態におかれそれをどう処置しているか等と将来の生活について少しずつ考えて始めるようになりました。
その頃婦人として自分達の生活を少しでも合理化して行かなければ二人の子供の教育費も到底生み出す事は出来ない心境にかられ思いきってグループ活動である家計簿記帳に力を入れました。
始めのうちは赤字の出るのを気にし記帳したりしなかったりで弱ってしまいました。次第に記帳する事にもなれてきて忙しくてもつかれていても必らず記帳するようになってきて毎日の家計面を見て先月の無駄な赤字の理由をつかむことが出来ましたので来月はこうしようというようにいろいろと考えさせられることが多くなりました。しかし自然の力にはどうにもならない。台風(エマ)がやってきたために家屋がぶちおこわされて一ヶ年間はどうやら修理で住む事が出来ましたがそれ以上耐える事の出来ない状態となって友達より三○○弗の借金で十坪半の家屋を譲り受けまして何やら安心して住む事が出来ました。その借金返済方法も三ヶ年の予算計画を立て毎月の生活費から十弗ずつうめ合わすことにしやりくりの結果全部返納することが出来ました。このような苦しい生活と斗い乍らグループ活動を皆さんと勉強しそこから生み出してくれた。生活の技術に知恵と工夫を得て衣食住の問題解決に頑張り続ける努力を致しました。おかげさまで身近かに必要とする味噌も漬け物その他の保存食等もつくる楽しさはなんともいえない喜びでございます。省りみますに苦しかった過去の暮らしから現在の生活とを比較して考えました。
私はグループの活動を基礎にして精神的に経済的に考える主婦として立ち上ることのできましたことは私にとって大きなプラスであります。
娘も嫁にやり孫の顔を見ることもできて私はほんとうに幸せ者でございますがその孫たちが一人一人成長して一人前になる暁まで永生きし自分の手で作ったおやつの一つにも栄養のあるおいしいものを作って喜ばれるよりよきおばあちゃんになろうと今後もウント頑張っていきたいと思います。今後の方針として苦しみからぬけることの出来た生活のすべてを土台にし生活設計をたて合理的な明るく豊かで健康な生活を営むためにグループの皆さんと共に手を取り合って子供の教育面も力を入れてゆきたいと思います。尚予算計画をもって永久建築の家屋の建設に努力致しております。これをもちまして私のとりとめのない発表を終わらせていただきます。
御静聴有難うございました

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