読谷村史編集室 読谷村の出来事を調べる、読谷村広報データベース

1963年3月発行 読谷村だより / 4頁

グループ員になって 高志保Aグループ 大城シズ

グループ員になって 
高志保Aグループ 大城シズ

私はグループ会員になってから七ヶ年余りになりますが、今から十二年前、私が二十二才の時夫は三人の子供と私を残して永久に帰らぬ人となってしまいました。
三人の子供を抱えた私はその当時総ての希望を失い、日々の生活は勿論、子供達の面倒も一切をなげすて、唯悪夢に追れて半狂状態の日日を送っていたのであります。
此の悲惨な私の姿を見かねた両親は、私に気を強くしなさい、お前の運命だもの三人の子供の事を考えないとどうするのだと再三話して下されましたが、私には何のたしにもなりませんでした。生きることに望みをなくし、日々生活が唯恐しくなって、何時の間にか死の道さえ考える時がありました。
だが幼い子供達の顔をじっとみてはこみあげてくる涙をはらいながら、心の中に強く強くと呼んで、幾度か思い返して来たのであります。こうして日がたつにつれて、皆様から「世の中にはお前に似た境遇の者は幾人でもおるから悲観することはない」と激励されました。そのうちに、子供達の為にも、自分自身が強くならなければと思い、自分自身に鞭打ったのであります。
苦しい思い出の日々を送っていた丁度その時、部落では生活改善グループが結成されたのであります。私もすすめられて、そのグループの一員に加わりました。初めのうちは生活改善とはかまどの改善、住居の改善或いは会員の集り、又料理、手芸の講習だとばかり思っておりましたが、普及員の御指導は勿論、中央の諸先生方がその都度御指導下され、私達婦人の問題、子供の問題、社会の状況、生活と経済の問題などと、色々と話をきかされているうちに、自分の姿がわかってくるような気がしてまいりました。
そしてグループ員の皆様が非常に熱心で、親切に互に研究し合って、何んでも話し合えるような雰囲気になりましたので、私も非常に興味を覚えるようになりグループの集会を待ちかねるようになりました。
(次号へ続く)

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