読谷村史編集室 読谷村の出来事を調べる、読谷村広報データベース

1963年5月発行 読谷村だより / 2頁

研修報告書  鹿児島県の日程を終え宮崎へ   間程町内産業視察   日本唯一のベンベルグ工場を見学

〔82号1ページの続き〕

三月一五日金雨
鹿児島県の日程を終え宮崎へ

 吹上町と樋脇町に大変お世話になりその上参考資料も提供して頂き、今朝再び県の事務局を訪問御礼の挨拶を交わした。
一二時一○分汽車で鹿児島を発つ、上陸初の汽車の旅、汽笛の音が無雑作に淋しい。次々移り変る景色に目を楽しませ乍ら三時宮崎着、駅の近くの旅館玉屋に投宿、その足で直ぐ県の町村事務局を訪問、こちらも鹿児島から連絡済で事務局では我々の旅館の予約もするといった気の配りようで恐縮した。事務局長中武淑男氏、県町村議会議長会会長宮田吉助氏に挨拶、暫く懇談会日程の打合せ、明日東諸県郡綾町本会議で而も一般質問との事で、局から綾の方に連絡して頂く事にした。

三月一六日
議員の一人一人となごやかな交換会、綾町で
 県の事務局からわざわざ職員が随行して綾町へ、雨天の為洋傘一本づつ自治会館が貸して呉れた。本会議が始まった所だけに事務局長の吐師直氏に案内されて議場に入る。同町の人口は約九、六六九人で面積が九五平方粁、議員の法定数は二二名、条例定数一八名で本土の場合議員定数を条例で法定数を増す事は出来ないが減らす事は可能で殆んどの町村が減らしている。
 教育費は町予算におりこまれており、そのために予算規模も大きい。昭和三九年度同町の才入才出予算案は次の通り
※「昭和38年度綾町歳入歳出予算総括表(歳入の部、歳出の部)」は表のため、原本参照。
 お昼を議長の浜川穂浪氏と事務局長と共にして懇談、昼の日程に入る前に町長不在で助役の郷田実氏に挨拶、午後の開会をわざわざずらして各個々の議員と懇談、水入らずに議員一人一人と話し合い、なごやかなひとときを過ごした。
 三時まで傍聴その間二〇分程町長室で教育長富光清久氏と教育行政の話し合い、教育費の中最も大きいのは学校施設費で教育委員会で教育行政の企画、計画予算編成をし、町長と調整の上議会に提案するようになっており、沖縄の教育委員会制度と異なる。その後二時間程町内産業視察。

三月一七日
 昨日迄ずっと研修日程で肉体的にも精神的にも疲労を感じる。今日は天気も良く絶好の観光日和、その上日曜日レジャーブームの波に乗って宮崎交通観光バス事務所は大変な人出でごったがえしている。
 宮崎市は人口一五万人で市の中央を西から東に大淀川が流れ、神武天皇東征の由緒ある尊い土地柄で又日本最南端都市として南国情緒豊かな風光は観光客にこよなく愛されている。
 海、山、河、泉、谷川と自然の条件が五つも揃い蘇鉄、色蕉、龍舌蘭、フェニックスと珍しい亜熱帯植物の群落があって南国美を作るこどものくに、周囲一・五Kのビロー樹の繁茂したジャングルのような波状岩にかこまれた青島、ロードパークと云われている一一○Kの美しい日南海岸、サボテンの群生二○万の小弥太郎サボテン園等の景観に一日すごした。
三月一八日

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