読谷村史編集室 読谷村の出来事を調べる、読谷村広報データベース

1963年9月発行 読谷村だより / 4頁

!!戸籍窓口!!

!!戸籍窓口!!

☆八月分の届出数 一二四件
☆出生届数 五○件
☆死亡届数 一一件
☆婚姻届数 三四件
☆離婚届数 一件
☆戸籍訂正 一四件
☆その他 一四件

 俗に云う!新民法が施行されてから、最早や七ヶ年が経過した今日、なおも旧法中の!家制度!から脱皮し得ず、戸籍窓口では、その説明に充分に意を尽し得ずとまどっている。云うには、どうも長男が分家(新戸籍編製の意味するとか、長男孫が婦とともに分家(子の出生による新戸籍編製の意味)すると云うことは、役所では合理的に事務を処理していけば良いけれども、私達にはいくら考えても常識では納得がいかない、等々、意を得ないままに帰られる後姿をながめて、ほんとうに情なく思うものであります。新法施行当初は(昭和32年1月1日施行)新聞紙上等でも報じられたし、又村としては区長会に於いて、プリントを作って説明会等も催し、充分に住民への啓蒙に当ったものである。直接役所の窓口で戸籍の謄抄本を貰ったり、あるいは、婚姻届、出生届等提出のため役所へおいでになり時下に戸籍の変動を御覧になられた方は、あるていどお解りと思いますが、そのような事件を自分ではせずに他人に御願いした人達であれば、どのように自分達の戸籍が作られているか、解るすべもないものと思います。そこでこの!村民だより!を通じて新法施行後の戸籍の取扱いについてこれだけは是非知っていていただきたいと云う事項を出生、死亡、婚姻離婚の順をおうて御説明申し上げたいと思います。先ずその前に戦後の再製戸籍について一寸だけ説明を加えさせていただきます。
去る大戦で沖縄の戸籍は(一部先島を除く)全部戦災のため焼失してしまったため終戦直後は配給を受けるために!配給名簿!と云うものが作製されそれがやがて!臨時戸籍!と呼ばれるようになり、出生、死亡、婚姻等の記載もすべてこの!臨時戸籍!に記載していましたが、昭和29年3月1日に!戸籍整備法!が施行され、やっと戦災で滅失した戸籍の再製に着手したものであります。この戸籍整備に当っては、当初参考書も資料も乏しい中で、非常な困難を極めたが、関係者当局の御指導を得て、戦前このような戸籍事務に執って居られた方々、それに当時の区長、書記さん方々への説明会を持ち、各字の公民館に於いて生きているものの記憶をたどって戸主(又はそれに代る人)の申告により出来たものが現在の戸籍であります。
次号につづく

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