読谷村史編集室 読谷村の出来事を調べる、読谷村広報データベース

1963年12月発行 読谷村だより / 1頁

1963年を顧みて

1963年を顧みて 
助役 町田 宗美

 一九六三年も余すところ旬日にせまり毎年のことながら町には大売出しののぼりが立ち並び師走の風にはためいて、道行く人も何かしら忙しさをもたらしている。農村でも結婚式や忘年会、部落懇談会と慌しい年末の季節的情感がおしよせてきました。さて、ここにすぎし一年をふり返ってみまするに、七十二年振りといわれた寒冷による冷害に引きつづきまた明治二十三年測候以来記録にないといわれる大干ばつに見舞われ町や村も飲料水の欠乏に会い深刻な水ききんを招来し遠く本土から飲料水を送与するという前代未聞の事態を惹起致しました。幸にして本村は米軍の協力と砂良の水源からの給水をもって飲料水は何とか難関を切抜けることができましたものの農作物にとっては土質の関係もあってその被害は甚しく昔から「甘蔗に名をえしところなり」とうたわれたわが村も遠く屋我地村から蔗苗を購入しなければならない窮状に立ちいたり農家の皆様も実に苦しい年だったと思います。これに加えて砂糖自由化の問題や、金融界の金融引締め、尚軍用地料の遅払い等は農家経済にも大きな影響を及ぼした事と思います。この中にあって今年は又全住民の忘れる事のできない大きなぼっぱつ事件として一瞬にして百十余名の死者、行方不明者(本村から死者一名)を出した「みどり丸事件」近くは「ケネディ米大統領の暗殺事件」と実に大きなショックを与えた一大惨事等取りあげて見ますと本年は実に暗い世情だったといえましょう。辛いにして師走に入り待ちに待った雨も降りこれで水のなやみも解消し、軍用地料の支払を始められて若干ふところも潤を呈しここに活気を取戻し笑顔で明るいお正月が迎えられることと思います。
 村でも終戦来懸案になっていた村有地境界確認の現地の実地調査(議員、村関係職員)の完了、村有林(親志)内果樹園の設置、古堅中学校の建設、中部水道の施設が現在着実に進められています。尚、本年から社会教育主事(宮城元信氏)がおかれ、その指導により、各公民館運営、婦人会活動成年学級、青少年問題、成年学級の開設、教育隣組の育成等すべての社会教育面が発展してきましたことは最も喜ばしいところであります。ここに一九六三年を送るにあたり総ゆる困苦を克服され村発展のため御協力下さいました村民各位に謝意を表わし益々健康で新年をお迎え下さるよう祈念致します。では御参考までに行政日誌からその主なる事項を列挙して本年最後の村だよりと致します。

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