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1964年1月発行 読谷村だより / 3頁

台湾の産業視察報告 

〔90号2ページの続き〕

台湾省斗六農田水利会訪問彰化地下水開発所、斗六灌漑井戸見学
台南市革州大飯店宿泊
△十一月十六日(土)
 午前九時台南市出発、台湾省糖業試験所訪問仝農業試験所鳳山熱帯園芸試験分所、糖業公司屏東総厰種畜場見学、
高雄市萃園大飯店宿泊
△十一月十七日(日)
 台湾糖業公司屏東総厰(製糖工場)管下の自栄農家林禎祥氏の農業経営の状況を見学。正午より高雄市を出発午後八時台北市到着
台北市新中国大飯店宿泊
△十一月十八日(月)
自由行動、台北市内見学
△十一月十九日(火)
午後五時二十分、台北飛行場出発六時二○分那覇着
△台湾は今から六八年前の一八九五年(明治二八年)清朝政府が日本に敗れて、日本の統治となり、以来五○年間、日本の統治下にあったが、一九四五年の第二次世界大戦において、再び中国に復帰し、そしてまた中国大陸の内乱によって中華民国政府が台湾に移り、一九四九年より、中国政府の臨時所在地となっております。

△台湾の総面積は三六・○○○平方キロで、南北の長さ三一八キロ、東西一四○キロ、にして日本の九州地方よりやや小さく、中央山脈の山岳地帯は、台湾の南北を貫いて、総面積の五二%を占めており、かつて日本一の高山として名高い新高山(今は王山という)三・九九七メートルをはじめ三・○○○メートル以上の高山が一○○座あまりもあって、東部一帯は平地が少ない上に、断崖絶壁の奇勝地が多いとのことだが、西部一帯は広い平野が続いて、台湾の産業、及び農業の中心となっております。もともと三五省を有していた中華民国は、中共の反乱によって中国大陸を奪われ今では台湾省と福建省の二つに国土を縮少されております。
 中華民国政府の下に、台湾省政府と、福建省政府があって、台湾省の下に、台北、桃園、新竹、苗栗、台中、南投、彰化、雲林、嘉義、台南、高雄、屏東、宜菌、花蓮、台東、十五県があり、福建省の下には、澎湖県があって、金門と馬祖諸島に分かれておりますが、この金門と馬祖の二つの島は、台湾の防衛は勿論、自由諸国の安危に極めて重要な戦略的地位にあって、目下中華民国の三民主義国民は、本土回復の決意に燃え、着々と、大陸反攻の準備を整えているとのことです。
日本統治時代の末期における台湾の総人口は、凡そ六五○万人であったが中国大陸から二五○万人が移り、二二七万人の自然増加によって、現在の人口は一・一二七万人といわれてます。中国政府の総統府は、台北市にあって、この首都の人口は凡そ一○○万人、高雄市が五○万人、台南市と台中市が三五万人、基隆市が二五万人でありますが、この主なる都市は、みんな台湾西部にあって、基隆市から高雄市に至る南北四三六キロの国道に面しているのであります。

△台湾の基幹産業でありまして、主なる農産物は、水稲、甘蔗、パイン、甘藷等ですが、土地が肥沃で水利に恵まれ、暴風が少ない上に、気候が暖いので、大豆、落花生、小麦、黄麻、シトロネラ(香水茅)等も適しており、更に、バナナみかん、マンゴ、其の他いろいろの果物がよく穫れる国であります。
最近日本の耕耘機が台湾に輸入されたと聞きましたが従来、台湾における唯一の農機具だった水牛も現在なお利用され、至るところで犁や、に馬車を曳き、これと調和のとれたクバガサ姿の農夫、この二つの働きによって、台湾の農業は盛んになっただろうと思いました。
△中華民国政府は一九五一年より、農地調整法を制定して、農家一戸当り、七エーカー(約九・○○○坪)の自栄農家制度を設けておりますが、この制度は国父孫文先生の遺教による「耕す者その田を有す」の政策の実施で一九五一年当時、九・○○○坪以上の農家私有地は、政府によって買上げ、これを適正価格で小作農家に売渡したのですが、小作農家は十ヶ年以内に、米や甘蔗等の生産物をもって地価を支払う。一方地主は、その土地の価格に相当する七○%の土地実物債権と、三○%の民営会社株券が与えられて、この農地改革は地主及小作農家双方の利益になって順調に実施されたようです。

△日本時代に建設した台湾製糖会社はそのまま中華民国政府のもとになり、台湾糖業公司が運営しております。台湾公司の資本金は、一九二・○○○万元(四八・○○○万ドル)で中央政府が五一%、台湾省政府が四○%、民間出資九%にして、官営の会社であります。糖業公司の事業部門では、製糖工場が二五工場、農業試験場、種畜場、鳳梨工場、副産加工場、農業工程所、儲運送事業等巾広い事業を運営しているとのことです。
製糖工場の規模は最低八○○屯から三・八○○屯の大型工場もありますが、その生産能力は一○○万屯で、従来九七万屯も生産したが最近は他の作物に押されて年々減少の傾向にあるとのことです。
甘蔗の反当収量は、最高四屯として、労務者の賃金は日給四○円(一ドル)程度の低賃であるため、農家の生活コストも低く、更に製糖工場の大型化によって、製品コストも、たいへん低いのであります。

△台湾糖業公司所属の糖業試験場は、日本時代の一九○七年に設立されたそうで、其の後機構を拡大し、現在ではハワイの糖業試験場と提携して甘蔗の品種改良に高度な研究を施しています。
甘蔗の新品種は、N・C・O三一○号を台木にして、N・C・O三三四号、下一四六号、一四八号、一四九号、一五○号、一五一号、その他十数種類の改良種があります。
台湾の甘蔗作農家総数は約一五万戸で、甘蔗作面積が

※写真「(写真説明)上から総統府・台北市の朝」「国道のマンゴ並木・台湾農家(屏東)」は原本参照

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