読谷村史編集室 読谷村の出来事を調べる、読谷村広報データベース

1965年1月発行 読谷村だより / 4頁

南米だより 母村の御発展を祈る

〔98号3ページの続き〕

ニアは過去三ヵ年間に出生五一件、死亡六件、婚姻二件であります。更に第一コロニアの山畑牧師が来村されて色々と移民地の事情を申し上げた様でありますが同牧師は帰郷される迄私達のコロニアに来所された事はありませんし、どんなお話しをなされたか知りませんが、全体的には同牧師のお話の通りの実情かも知れませんが個人的には充分なる実情を申し上げ得なかったと思います。当村出身者の二、三名の人達からの話しによりますと、同牧師の懇談会後の故郷の便りでは相当心配した便りが来ていると私に話がありましたのでお知らせすると同時にいらぬ御心配、御同情は此らがいたみ入ります。
故郷と比較すると、それは話にならぬ程不自由はありますし、当国政府の農業政策が皆無のために生産物の販売面にも苦労はしています。一番の不安は教育問題で、当国又は琉球政府より何なりの援助もありませんので、組合員各自で教育費を負担し授業料金が多額のため未就学児童もおります。教材備品も皆無に等しい位です。でも不安ばかりでなく、御説の通り五一万ドルのA・I・D資金の割当、既に道路、井戸、病院等も工事着手しつつあります。私達の農業機械だけが何の音沙汰もありませんが今年中には交付出来るものと信じております。
私達読谷出身者は南米に親戚知人が少ない関係か、それとも、意志強固のためか外国へ転出者は少ないですが昨年一月~九月迄に当国より亜国、ペル、ブラジルに三一四人位(約七〇戸)転出しております。其の後も三〇戸位転出したものと思いますが、其の原因として、転出者の意向及び理由としては1当国では独立の希望が持てない。2飲料水の問題。3暮国農業政策の皆無。4教育問題5都会への憧れ等があります。
転出の方法として親戚知人を頼って出る者が多いが中には無鉄砲に飛び出す者もいて、転出先で相当苦労している様な話しも聞いております。又世帯主は居残り若い青年男女の転出者もありますがそれはそれなりに結構な事と私は考えております。当村出身者は先にも申し上げました通り読谷山魂がある故か、皆忍耐強く人後に落ちない様な立派な働きをしております。何処の人にもこれは誇り得ると私は信じておりますので御安心下さい。
職員からの御便りによりますと、当国移民者に関心を寄せられ、実情調査のため留守家族は勿論政府及び関係機関え折衝のための東奔西走されておられる由、本当に御苦労様で御座居ます。皆様の苦労も分からずにお便り一通も差し上げず失礼致し誠に申し訳ないと思います。今後時間の許す限りお便りを差し上げる積でおります。同じ農業をする位なら何らかの不自由を忍べば沖繩よりずっと住み良い処と思います。生活面も向上するのでは無いかと思いますが、今年は移民送出は無いと聞いておりますが、今後継続して移民送出するならば、意思が強固で健康であればどしどし当村からも送出して戴き度いとお願い申し上げます。
私達の入植当時と比較すると各方面の発展に相当の開きがあります。当国は二一世紀よりは世界最高の文明国になると日本領事は何時も話されておられます。今期に出来るだけ多くの移民を村民より送出される様重ねて希望する者です。当国へ入国すればブラジル、アルゼンチン、ペル国等へ簡単に入国出来ますし、当コロニアも後、一四、〇〇〇町歩の未配分地があります。私達も今までの米作一点張りより畜産に力を入れて豚、牛の飼養に相当馬力を掛けております。
年々生活も向上する一方です。生活必需品も高値である関係で手が出せませんが何んでもある事はありますので心配は入りません。
次に当国より村出身者二名のお年寄りの方が帰郷されますので御参考にお話しをお聞き下さい。波平の知念主良氏とトケシの与那覇さんです。実際の実情が分かるものと思います。
職員の方々よりもお便りがありましたので村長様でよろしくお伝え下さる様お願い申し上げます。後でお便り差し上げます。
最後に母村の限り無き御発展と皆様の御健康を御祈り申し上げ御返事と致します
一九六五年一月十一日
字瀬名波出身 新城松盛
読谷村長 池原昌徳殿

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