読谷村史編集室 読谷村の出来事を調べる、読谷村広報データベース

1965年8月発行 読谷村だより / 4頁

はなしのサロン

はなしのサロン 
読谷村農協長 神谷乗敏
盗人たけだけしいという古語もあるが盗人にもいろいろ名称があるらしい義賊、オイハギ、クイニゲ、スリ、ゴウトウ等々戦前は盗人といえば極くまれにしか新聞に出なかったが戦後はこういう記事が出ない時は珍らしい位である。
然もその行動と悪意の横逸さは目に余るものありと思うのは私一人ではなかろう。スリにあったのを一般の為にかいて見たい。
一九五九年四月に日本々土の優良農協視察研修旅行につく前日、視察旅行に援助して下さった農林漁業中央金庫理事長の崎浜秀主先生(故人)に挨拶に行ったら充分研修してその結果は各々その農協に反映させる事以外に云う事なしただ然し日本本土は何事も沖繩より優れていて特に旅行者のふところをねらうスリは最も優れている事をつけ加えてもらった。
視察旅行も千葉、埼玉、栃木、長野、奈良、京都、大阪、兵庫、岡山、香川、高知、愛媛と巳に峠も越し明日九州の大分へと喜び且つ一行元気で楽しい旅を続けていたところ忘れもしない五月五日道後から高浜港の待合室に這入るとたんにミカン売りの四〇がらみのおばさんがここはスリが多いから荷物貴重品は注意しないと危ないですよと言われたので、口では強がりで大丈夫ですと返答したが心ではいつどういう姿で私の財布をかすめるだろうかと不安で注意をおこたらなかった。しばらく待っている間に年の頃三十二、三才かパナマ帽にサッパリした服に新品の手さげカバン写真器を肩にした紳士風の男が二十二、三才のきれいな女の子とその他に男二人でタクシーから降りてきた。
そこで私はハッとした。ややもするとさっきのおばさんが云ったスリではと直感し、なんとなくそのおばさんに眼を向けるとそのおばさん。眼で今来た連中がここのスリ常習だと答えて下された。それからこの一行の動作を注意して見ていたのでここでは仕事にならないと気づいたのであろうかタクシーで引揚げて行った。
後でそのおばさんに礼をいい、ミカンを買って上げたのは勿論である。
高浜港から船出して瀬戸内海の静かな航海も楽しく別府につき、別府駅から汽車が出んとする時ホームからマイクが流されたそれはこうである。
お客様に申し上げますこの列車は熊本行急行であります。この列車に大がかりのスリ団が乗り込みました。各人身の廻品、特に貴重品をスラれない様御注意願います。くりかえしますとかなられて、今度はだれかやられないだろうかと心細い旅行になってしまったが周囲の方々も無事熊本についたのでホッとしたが話変わって沖繩でも港においてスリされたという新聞を見る時寒心に堪えない。
切角暑い沖繩に来て戦地を参拝し身も心も平和でなければならない世界中の人間がそうあってほしいという気持ちになり参拝には胸中涙を流して冥福を祈ったであろう。そういう方々が沖繩を今去らんとする時にスリ公にやられたんでは、すべてがぶちこわしである事を憂うる一人としてその取締りに当る方々は勿論の事吾々同胞は一人でも斯の如き悪人の出ない様注意し合い楽しい沖繩にしたいものだ。  拙文御免

利用者アンケート サイト継続のために、利用者のご意見を募集しています。