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1966年3月発行 読谷村だより / 4頁

はなしのサロン 禍福 

はなしのサロン 禍福 
宮城重治
 あのとき、ああしなければよかつた、こうしなければよかつたと、過去の出来事を後悔して悩むとき、人間はよく運命という言葉を使う。
 ヘミングウエは、後悔する事はすべて悪であるといつているが、誰からも理解しがたい悪を多分にもつて生きている以上、いかなる人と言えども、後悔なく一生を終える事は出来ない
 吾れに不可能なる文字なしと豪語したナポレオンでさえ、自分の意志に反して煩悩したとき、人生は運命であるといつた。
彼らしくない言葉ではあるが、確に、そこには人間の力では及ぶ事の出来ない人間の意志をはるかに超越した定めがあることを私はこのナポレオンの言葉の中に知ることが出来る。
 運命とはめぐり合う事であり、人間が生れて死ぬまでの一生の間に出つくわするさまざまな出来事であるこの出来ごとに、人間の能力や性格が相和するとき、人間は最も幸福な境涯を感ずることが出来るであろう。人間の禍福は、時代が要求した所産であり、その要求に答えることが出来るか否かは、直接人間が幸か不幸かを意味するものである。
 しかしながらこれはあくまでも意味づけるための要素であつて、人間の禍福があざなう繩の如く決定的でないと言うところに、運命のおもしろさがある。社会という大きな歯車が回転している以上人間の禍福を誰が固定化出来ようか。時代が変ると要求する社会の角度も変つてくるし、それに答える人間にとつて現実は大胆にも人間の予測を先んじていて二つに一つしかない道のりを命をかけて冒険しなければならない。のるか、そるかは神ならぬ人間に知るよしもないが、しよせん人間の決着するところは天命をまつことに終るだろう。
 このかけ事にも以た、人生を浮きし世というのであろうが、この浮きし世の定めを知らない人間の命にこそ本当のあじわいがあるのではないか。
 昨日、冠を載きたる者が今日はギロチンの露と消えたり、あえて労して学ぶことをさけたアイゼンハワーが大統領になるかと思えば血のにじむほど努力をしても一生罪人のように追われて死んで行かなければならなかつた徳田球一がいたりする。
 「定めとは浮きし世の人知れずこそおかし」とは意志の弱い人間の歌だろうか
  女性と黒いくつした
 女性の神経は、男性のそれよりもデリケイトに出来ていて、ちよつとした事にもすぐ興奮したり、動揺したりする。つつけば二、三日もむくれているし、ほめれば空気を孕んだ風船みたいにつかみどころがない勿論殺せばばけて出る。
だから賢い男性はとかく女性には近づきたがらない。女性は近くから油絵でも眺めるようにそしらぬふりしてながめていた方が安全だし、美しく見えるものである。私が言うのだから間違いはないがその責任はとらない。もし貴男が女性に近づこうと思うなら、まずあざやかで派手な物を好んでいるか、否かをはつきりみきわめねばならぬ。もしあざやかではでな物を好んでいろようだつたら、景気がよい証拠だから、そうーと近づいて行つて、ウインクするなり、ご機嫌をうかがえばよい。
 女性はカメレオンみたいに、あらゆる物を敏感にキヤツチしていて、そこに何か不安なものを感じると すぐそれを色によつて表現しようとする。
 景気が下火になつたり、暗いニユースが続いたりすると、きまつて陰気な色を好むそうだから、女性はもつてまか不思議な生き物である。そう言えば、最近若い女性の間に黒いくつしたが流行しているが、あれは景気とは関係なく、さつとベトナム戦争の影響だと私は思うよ。ベトナム戦と沖繩が決して遠いものではなく、それが女性の心に暗い影をなげかけている事は間違いない。それにしても赤い口紅に黒いくつしたはどうみてもきみようだね。
やつぱり女性はあざやかではでな物を好んだ方が魅力的だし、男性にとつても、近づき易い事は事実である

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