私がトーカチ祝をしない理由
波平 比嘉 良平
私は今から五年前の六三年一月二十二日の新聞に成年祝は無意味の浪費であると出したことがあります。
なぜ成年祝は無意味かと申しますと、
(一)人間は年がかさなるに従って体は悪化するばかりでよくはならない。悪化の一途をたどるものに多額の金を使って祝うのは無意味である。
(二)長生きして苦労しているとしよりも世間には少なくない。
(三)長生きして「カニハンデイテ」用も自分でたせない人や、又家族とひとしく食事をしても「ワンネームノーカマサン」といって家族の悪口をいっているとしよりも又少なくない。
カニハンデーブサヌ、ハンデトーヌムノーアラン、長生きして「ハンリタ」のである、だから長生きしたからとして多額の金を使って「カニ ハンデール」機会を祝うのは無意味であり、浪費であると私は思うのである。
人間の価値は寿命の長寿すなわち其の人の「生存」の長きが故に尊いのではなく、その人の生涯に於ける人生の品格や仕事の如何にあるのであると私は思う。若い年で死んでりっぱな一生を送った吉屋思鶴二十四才、平敷屋朝敏二十五才、初代主席比嘉秀平五十余才ケネディ前大統領四十六才宮良高夫三十才、安谷屋正義四十六才の方々がある。
又世の中には長生きしないで若い時早く死ねば本人にも社会にもためになる人も居る。那覇泊の母と弟を殺して死刑の宣告を受けた又吉幸治二十四才、又隣人を包丁でさし殺して七年の刑を受けた比嘉清志、又父親をまきでたたき殺した宮古の喜友名(十九才)やその他の凶悪罪人等がそれである。
だから長生きしているからと多額の金を使って祝するのは無意味の浪費であると私は思う。
(四)生れ年はやく年であると昔からいわれているから、やく年を祝うのは無意味の浪費(年ビーは年忌である。)である。
(五)これから先何年生きるかわからない、又明日どんな多額の金の必要が生ずるかもわかりません。以上の理由によって私は「トーカチ」祝はしない。
私は長生きが悪いとはいいません。長生きしたからと多額の金を使って「スージ」するのが悪いと思うのです。
以上私の考えをのべましたが、以下は八月二十六日より九月四日まで沖繩タイムスに掲載されておりました、米寿祝と枕飯御願トシビー祝いの民俗についての沖繩県史編集審議会員の八十八の祝の起源についての記事から、
八十八の祝の起因について
八十八の祝いを米寿の賀という。これは米の字を分解すれば八十八になるからである。ざっとこんな調子で、よっぽどのひまの人が文字をもてあそんだ結果生れた風習である。あきれた話ではないでしょうか。
又トーカチ祝の行事は旧八月八日トーカチ祝の前晩明日祝福をされる当人の寝静まってから、その枕元に枕飯をおいて一本の箸を中央に立ててもう一つは横に十字形において家族の者(長男がするのが建前という)が御願をする、その御願の文句が「もうあの世へ行かれるいい年令(トシ)になりましたから御引きとり下さい、そうしてあの世で子供や孫たちの繁栄を見守って下さい」とあるからトーカチ祝は早くあの世へお導き下さいとのことであることがわかりました。
それで私達の新しい時代は新しい時代に適応する行事を行いましょう。
古い因習や迷信にまどわされないよう、価値のあるようなもち方を、みんなで工夫しよう。