話のサロン 須磨の浦
龍宮にも例える沖繩島の中部、東支那海に面した平和な農村、ここが私の生れ故郷読谷村である。座喜味城跡を頂上にして四方にひろがり甘蔗畑ごしに一望千里はるか水平線の彼方まで眼下に見下され、夕焼け空の美しい海景色は一ぷくの絵のようである。水平線上にくっきり浮ぶ慶良間島沖行く船の二つ三つ「須磨の浦」とはこんなところだったかも知れない。ここで恋でもしたら光源氏の心境も分るのではないかと思う程である。多くの村人たちが、この絶景に見とれないのも恵れすぎてのぜいたくであろうか。?
珊瑚礁から湧き出ずる清水に恵まれ腹一杯こくんこくん飲む美味しさはサッポロビールとは又比較にならない。私はかって第二次大戦中満州、北支、中支をかけまわったことがあるが水に不自由し、水の不潔になやみ、沖繩の清水程、有難いものはないと思ったことがある。日本本土も各地方まわってみたが勿論すばらしい景色も温泉も豊かな平野も広々とした牧場も高い山脈も美しい街もあるが、でも私は読谷の土地が大好きだ。火山灰土から湧き出ずる水よりも珊瑚礁から湧き出ずる読谷の水がはるかにましである。その上海風のそよ吹く読谷の空気は東京、大阪の汚れた空気とは、けたが違う。北支、満州における黄塵万丈の黄色くよごれた空気とも話にならない。
冬でも暖かく四季、畑には青野菜が茂り草木も青々として年中緑につつまれている。
日本本土で四月に咲く、さくらも旧正に間に合わせて咲いてくれる。新潟や秋田で積雪三米、雪にうもれて外にも出られず孤立状態の部落もあると聞く、手足は霜やけに苦しみ、血をふき、神経痛、ローマチスに苦しむ他県の主婦達を見ると、沖繩のように住みよい所は世界中にないだろうな!と一人思う。
土地は、さ程肥沃ではないか排水がよく村民の働きで、きび、いもの名産地であり、野菜のさまざまできないのはない。農業しようが軍に働こうがいくらでも職場がある。若い人にも年寄にも好きな仕事、無理のない仕事がいくらでもある。
産業、教育は村民の関心事で各場所の発展し、村民から一流の政治家、教育家、医者、実業家等も続出し、先輩後輩のよしみもあり、平和で純朴な農村である。
こう考えてみると世界広しといえども我が村のように住み良い村が他にあるであろうか、ボリビアにいった気持ちで働いたら二~三年待たずに金持にもなろう。
暖かい、のどかな春もま近かに訪れます。
どうです村民の皆様!
住み良い我が村で運と精出し、楽しい家庭を築きながら健康で永生しようではありませんか。
一九六八年二月十六日
松 田 盛 康