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1969年2月発行 読谷村だより / 2頁

我が村読谷村の栄誉に輝く農林漁業先覚者顕彰 研修報告(一)

我が村読谷村の栄誉に輝く 農林漁業先覚者顕彰 
研修報告(一) 経済課長 松田 昌彦
 農林省主催第七回農業祭が昭和四三年十一月に催され、その事業の一つとして明治百年を記念して、百年間に農林漁業に功労のあった農林漁業先覚者の顕彰がなされました。この農林漁業先覚者顕彰に本村から、佐久川種の甘藷を育種普及した字比謝四四番地故佐久川清助氏、さとうきびの育種改良読谷山種で沖繩糖業を今日あらしめた字楚辺七二八番地故比嘉牛氏、両氏が明治百年刊の栄誉に輝く顕彰の受賞となったわけであります。 この意義深い祭典に遺族に代って出席致しました。
 又、本村の六九年度事業として、農業先進地視察研修を計画し 農業に従事し地域農業指導者として日夜御奮斗なされている農家六名とともに十二月上旬九州一帯の視察研修を致しまたのでその報告をさせていただきます。紙面の都合で幾月かに続くことと、詳細な技術面まで記せない点をお許し下さい。
 農業祭は十一月二十一日から全国郷土特産即売会および食生活百年の歩み展から幕が開かれ、十一月二十三日は早朝から、新嘗祭祭典、収穫感謝の集い、式典、観劇会と日程が組まれ盛大な祭典でありました。
 では顕彰を受けました甘藷の佐久川種とは
(イ) 佐久川種は明治二七年ごろ泊黒、暗川、名譲和蘭の三種を混植栽培していた畑の自然結実した種子を採種し、三〇種くらいの種類が発芽し、その内優良と思われるものを十種、六種と選抜育成し、二年目に三種選抜し、八年間を要して佐久川種を育成したことになっている。
(ロ) 佐久川種は茎葉はともに緑色で、いもは長紡すい形で白皮白肉、肉質はやや粘質で早熟種夏植に好適して土質を選ばない多収品種である。
(ハ) 佐久川種は栽培面積も広く大正七年の品種別作付面積を見ると全作付面積の一四・四%で沖繩全地域で栽培された品種である。
(ニ) 佐久川種は大正十年頃には農事試験場において分型育種法試験で佐久川十三号が選抜され、大正十四年頃の奨励品種である。
(ホ) 我謝栄彦著甘藷教科書「沖繩における甘藷の育種事業とその業績の概要」によると最も重用視された品種で、栽培面積も広く収量品質ともに良い品種とされている。
 さとうきびの読谷山種とは
(イ) 古来沖繩で栽培されていたさとうきびは島ウウジといわれた在来種で、この品種の繁殖法は古株を掘り起して移植して繁殖していたようでありますが読谷山種を生み出した字楚辺の比嘉さんは、ある日さとうきびを食べて、梢頭部を水かめの側にさしておいたところ、ある日数が経てから芽を出したので、これにヒントを得て従来の繁殖法のほかに梢頭部による繁殖法もできるのではないかと思い研究を続けた戸のことである。この繁殖法を芽状異変による品種改良法といっている。
(ロ) 読谷山種は明治、大正、昭和の初期まで優良品種として奨励された品種である
(ニ) 読谷山種は台湾へも輸出されたことがあり、またさとうきびの世界主要生産国において品種改良の素材として広く利用され、さとうきび品種改良に貢献していると云われている。
(ニ) 読谷山種を育成した故比嘉氏を究明された方は沖縄師範学校の先生で博物学者岩垣先生で、それに本村の産業界の大先輩波平出身故比嘉良平先生の記録からまとめたものである。
 次回は農業債で天皇杯を受賞なされた方を御紹介致します。

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