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1973年1月発行 広報よみたん / 8頁

成人になった喜びと不安 古堅出身 伊波寛

成人になった喜びと不安 古堅出身 伊波寛
 ”成人”私にはこのことばが何を意味し、どういうものであるか、言い表すことができない。
 もちろん成人になれば、社会的には立派な大人として取扱われ、政治面では参政権が与えられ成人としての義務と責任が負わされる。
 社会が自分を一人の人間として成人として認めてくれることには大きなよろこびと誇りを感じ、その反面成人になることが不安で何か抵抗を感ずる。
 それは、はたして自分の理想を持ちつづけ、社会に出てもそれを貫くことができるかという問題がある。
 とかく青年時代は自己中心的で、理論や打算よりも感情によって動かされやすく、現実の生活をとびこえてロマンチックな感情と思想をいだいている。
 自己の本心に、忠実な純真さある意味の誠実さと強烈な感激性をもち冒険心も富んでいる。それは青年時代の特権ではないかと思う。
しかし、人生も半ばをすぎた、つまり現実社会に解けこんだ大人は何というだろう。おそらく青年に向って”甘い”とたいていの人はいうだろう。それは青年の理想や行動が現実性、具体性に欠け、ひとりよがりの空想をのべるのはたしかに甘いかも知らない。
 しかし、そういうことで青年らしい理想的精神を否定することはどうかと思う。
 大人は青年に向うとすぐ自分の体験をもち出す。青年は若いから体験もないから、という前提でものをいう、もちろんそのとおりにちがいないが、いったい大人の体験とは何なのだろう。
 ただ青年より長く生きていたからといっては意味がない、あれやこれやと経験があるからといって、それを誇るのはどうかと思う。ましてそのことから新しい生き方を求める青年に対して、抑制を加えるなどは、大人の傲慢ではないだろうか。
 いろいろ書いたけれども私も大人の仲間入りをしたのだから批判するだけでなく、よい人間として社会人として正しく生きることを考え、自己の人生における希望多き意義を自覚して、正しい生活理想と問題意識をもち、実現可能な道に勇気をもって猛進していきたい、私達は”甘”といわれることばをおそれてはならない、社会に出ても形だけの成人ではなく自分の理想をつらぬき通す強い意志の人間になりたいと思う。

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