読谷村、嘉手納村合併協議会規約廃止 《経過の概要報告》 村長 山内徳信
読谷村、嘉手納村の合併問題は、村民が深い関心を持っていた重要な問題でありましたが、今年の三月二十四日、読谷、嘉手納、両村ともに、合併協議会規約を廃止することになりましたので、今までの経過の概要を村民に御報告申し上げご理解を得たいと思います。
読谷村と嘉手納村が合併を進めるために、合併協議会の規約を制定したのは、昭和四八年一二月二十一日で、両日同日、議会で議決しました。
そして、昭和四九年一月二十四日両村の第一回目の合併協議会が開催され、合併事務局が発足し、その後六回にわたって合併協議会がもたれました。
当初、合併目標を昭和四十九年九月一日と定め、合併作業が進められてまいりましたが、去年の六月に起った読谷村内の事情により合併作業は中止の状態になってしまいました。
六月十日に開かれた第七回合併協議会は、次のような決定をしました。
議題は、①今後の合併作業の進め方について、②合併事務局の取扱いについて討議が行なわれ、その結果①今後の進め方については「合併はあくまで村長の政策の中から両村の長と長との合意に基づいて行なわれるべきものである。その一方の長が欠けた現在、このままでは合併作業は進めることができない。読谷村の新しい長が選任され、その意志がはっきりするまで作業は中断する形をとらざるを得ない。従って、合併基本方針に定められていた合併の時期について期日を変更しなければならないとのことで、読谷村側全委員より出された合併期日を変更が下記期日に全委員一致のもとに決定された」。
合併期日の変更
昭和四九年九月二日から、昭和五〇年三月一日に変更する。
①合併事務局の取扱いについては「新しい読谷村長が選任され、その意志がはっきするまで合併事務局はそのままの形で開店休業の状態で設置しておく。事務局員については、両村役場から出向して来た職員は暫時役場に復帰する。尚、事務局に対しての電話連絡等その他に対処するため現在の事務員はそのまま引続き事務局に残る。事務局の消滅については両村議会での承認が必要となる。」と決定されました。このようにして合併作業は事実上中止になり困難になってしまいました。
その後、本村では七月に村長選挙、九月に村議会議員の選挙が行なわれ、村の執行部や議員の入れ替わりなども大きく、読谷の村政(執行体制)が安定しはじめたのは十月の末頃からでありました。そこで、村の執行体制も確立したので十月二十九日に読谷村側だけの合併協議会を開き、議題として、①合併期日「昭和五〇年三月一日」の件、②合併事務局の取扱の件について話し合いが行なわれました。話し合いの中ではいろんな意見がありましたが、結局、次のようになりました。
(1)昭和五〇年三月一日の合併は事実上、また時間的にも不可能である。
(2)合併問題の進め方については、今後充分時間をかけて調査研究し、村民意志を尊重して結論を出すようにする。
(3)合併協議会の規約は存続させておく。
(4)事務局は形式上会長を村に残し、予算措置はしない。
(5)事務局員の取扱は両村長で話し合ってきめる。ということになりました。
第八回読谷村、嘉手納村合併協議会が昭和四九年十一月十九日に開かれ、議題は、「合併期日昭和五〇年三月一日」の件について話し合いが行なわれました。その結果、嘉手納側は、
①既定方針通り、昭和五〇年三月一日合併を目指して進めるべきである。
②合併期日を明確にする事が出来なければ合併規約は廃止した方がよい。ということが嘉手納側の主張でありました。これに対し読谷村側は、
①昭和五〇年三月一日の合併は事実上また時間的にも不可能である。と両村の主張は異なり意見の一致をみるにいたりませんでした。
このような話し合いがあって後、合併協議会規約の廃止の件について、去る十二月に議会の意向を伺ってみますと、「このような重要な問題を議会だけですぐ決めるのではなく、読谷村の合併促進拡大協議会の方々にも説明し意見を聞く必要があり、その後、三月までに規約を残すか廃止するか決めた方がよい」とのことでありました。
そのため、今年に入ってから二月十七日に読谷村側だけの合併協議委員会、同じく二月二〇日に村内の各種団体役員で構成している合併促進拡大協議会を開き規約問題を話し合ったところいずれも「規約は存続させておくべきである」ということになりました。ところがこの問題は嘉手納村と十分話し合いをする必要があるということで三月三日読谷、嘉手納両村の三役、議会代表者の会議をもち、規約の存廃問題を話し合いましたところ、読谷村の「規約は存続させたい」ということに対して、嘉手納村側は、「合併目途が現時点では、はっきりしないし、村独自の発展のための事業を進める必要があるその時、