米軍の弾薬処理再開、実力で阻止
村民250名が阻止行動に参加
「村民の生命と財産を守る」立場からのる七月十二日、通称ウトンガーにある米軍爆薬処理場で不発弾処理が再開されようとしている中で山内村長、安田助役をはじめ村内民主団体約二五〇名が早朝から爆薬処理場入口に座り込みのピケラインを張り、不発弾処理に反対する阻止行動を展開した。
この不発弾処理作業は二月二十一日以来中断されていたが、去る七月十一日、米軍爆薬処理隊からトリー通信施設を通して突然不発弾処理の再開通告が舞い込んできた。その内容は「十二日午前八時から正午までの間に危険な状態の爆薬二〇個をしたい。弾頭ははずされ危険性は少なく処理の際煙も出ない」。というもの。
村では、その通告を突返すと共に不発弾処理再開に対する緊急対策会議を開きその中で「爆薬処理の内容がどうであれ、再び地域住民を恐怖の中に落し入れる不発弾処理の再開には絶対に応ずることはできない。人命尊重の立場から実力で阻止する。」と態度を固め他民主団体にも呼びかけこの日の早朝座り込み行動となった。
この日の午前七時には山内村長をはじめ、村内民主団体、アロハゴルフ友の会員等約二五〇名の阻止団が弾薬処理場入口に終結し、「不発弾処理再開絶対反対」「村民の生命と財産を守ろう」などのたれ幕をかかげ照りつける日ざしの中で座り込みを続けた。
午前八時三〇分米軍不発弾処理隊は一台の大型トラックに不発弾を積み込み同処理場に乗り入れようとしたが阻止団の実力行使に阻まれ道路中央で立ち往生した。トラックには、知花弾薬庫爆発事故の際処理できなかった爆薬とあって黒焦に焼けた弾薬箱が数個積まれ、焦臭においが立ちこめていた。同処理隊は続々と押しよせる阻止団に恐れをなし三〇分後には引き揚げていった。その後、現地で集会をもち、再開されようとする不発弾処理に絶対反対する確認と村民ぐるみの阻止行動と不発弾処理場の即時撤去のたたかいを強めていくことを確認した。
この日の座り込みは午前九時一応解いたが処理作業が予定されている正午までは十数名が残りそのまま座り込みを続けた。
通称ウトンガーにある米軍不発弾処理場にはアロハゴルクセンター入口より北方一千メートルの地点にあって山の谷間を利用して行なわれている。処理作業は露天で行なわれ飛び散った破片は山はだを無残に切りくずし見るかげもない。同処理場は米軍、自衛隊共同で使用され、これまでたびたび山林火災や破片飛散をくり返し地域住民の生命と財産をおびやかしている。その主なものは①一九七一年一月二六日、座喜味の波平清助氏の住宅に四〇〇グラムの破片を落下させた。②一九七三年一月十一日、ガスもれ事故を発生され、地域住民をはじめ、古堅中学校、読谷高校、私立保育所の一千人余の人達がその被害にあった。③一九七四年六月、金城次郎氏つぼ焼工場に破片が落下し、トタン屋根をぶちぬいた。さいわいこの日工場には人はいなかった。④同年七月二日、アロハゴルフ場に落下。⑤同七月三〇日、近くの建設工事現場で頭上をピューンという音を立てて破片が落下し工事関係者を引き揚げさせた。⑥一九七五年二月二十一日、アロハゴルフ場に二キロ余りの破片落下等半径一千メートルにわたって、たびたび破片の飛散をくり返してきた。とくに一九七五年二月二十一日の飛散事故はすさまじく、二キログラムにも及ぶカミソリ状の破片がアロハゴルフ場のグリーンホール二メートル手前に落下し土中にくい込んでいた。この日はさいわいゴルフ客が少なくことなきをえたが、もし、休日であったなら-と経営者はひや汗を流して青ざめていた。また、同処理場を中心に半径一キロメートルの間には民家が四〇件あり、これまでのたびたびの破片飛散事故で生命の危険と恐怖にさらされ、不安な日常生活をしいられている。こうした中で、同処理場の即時撤去に関する要求とことある事に関係機関に要請してきたが受け入れられなかった。
同種の処理場は本村の外に二ヶ市村にもあるとされていますがいずれも使用には絶対反対を打ち出している。
本村でも即時撤去に向けて運動を強化すると共に一日も早く撤去させ地域住民の安らぎの求められる地域にしたいとし、村当局は関係機関に強力な撤去要請を続けている。