広報読谷200号発刊によせて
ここに「広報よみたん」第200号達成を記念し特集号を発行いたします。
「広報よみたん」の前進「読谷だより」は「村民に村政を広くお知らせする映写幕」として1956年7月1日に創刊され、以来今日まで20年の歳月を教えています。その間、幾多の変遷をえながらも、その1ページ1ページに躍進する村政の貴重な資料を刻々ときざみ続けてまいりました。
……創刊当時は物不足、社会不安の中で他市町村に先がけ村民と村政を結ぶコミュニケーションづくりの場として編集者の方々は並々ならぬご苦労があったと思います。
…この特集号は、過去20年の村広報を振り返り、時の広報編集者、並びにご協力なされた方々に原稿の投稿をお願いし、広報づくりの苦労話し、村政の動き、社会の情勢等について投稿していただきました。
広報読谷二〇〇号によせて 沖縄土地開発公社参与 池原昌徳(元村長)
我が村の「広報よみたん」が発刊されてここに二〇年の歳月を経て、通算二〇〇号の発刊を迎えられたことに対し、心からおよろこびを申し上げます。
さて、御承知の通り、「広報よみたん」の前身は、「読谷村便り」であり、その創刊号は一九五六年七月一日でありました。その趣旨は、(一)、円滑なる行政運営を図る。(二)、民主的で住みよい村をつくる。(三)、村民経済の振興発展に役立てる。(四)、知らしめる義務と知る権利を実践してガラス張りの行政を行う。という趣旨で画期的な事業として試みたものと記憶しています。
ところで「読谷村便り」が創刊された当時の村役所は、村長ー伊波俊昭氏、助役ー知花成昇氏、収入役ー大城正夫氏で、そのもとに総務、財政、経済、土地の四課で職員数も四〇名近くでありましたが、この村便りを新しく発行するといっても、特に係職員を増やしたり、予算を増やしたりすることもなく、総務課がこれを担当していて課長の町田宗美氏が編集にあたり、重要な事柄は知花助役が執筆し、原紙切りは、この私が担当して謄写版刷りで発行いたしました。そして、第一号から十二号までの一年間はガリ版刷りにして極めて貧弱なものだったと今では思いますが、当時は、他村に先がけて発行し、且
つ従来このような広報がなかっただけに村民から大好評を受けましたので、私たちはとても愉快に仕事ができました。それで次年度の予算が大幅に増額されたので、内容面の充実は勿論、活字印刷にし部数も増やして広報らしい「読谷村便り」が発行されたのであります。
当時私は、財政課長でありましたが、その後、収入役として五ケ年、村長の要職にあること八ケ年、その長期にわたり、しかも米国の異民族支配下における困難極りない村政を担当してきたのでありますが、その間「読谷村便り」を通じて常に村政の実態について報告して参りました。して見れば村政の基本方針・目標実施計画・予算・決算・産業経済・社会教育・文化活動・民主団体の動き等・すべて「広報よみたん」に掲載されているのであります。
我が村の広報よみたん、それは正に村民の友であり村の歩みであり、村政の鏡であります。それで私はこの機会に、この「読谷村便り」を創刊された先輩の伊波村長と知花成昇助役の御両人とこれを継続発展させて村政の歩みを綴り、村民のありのままの姿を集録して名実共に充実したすばらしい「広報よみたん」を発行しつづけた村御当局の皆さんに対し深甚なる敬意を表わします。
終りに我が村の輝かしい未来を創造するために、建設的にして広く「広報よみたん」への寄稿と御愛顧のほど心からお願いいたします。