読谷村史編集室 読谷村の出来事を調べる、読谷村広報データベース

1976年10月発行 広報よみたん / 5頁

広報読谷200号発刊によせて 広報雑感 村役場厚生課厚生係長 仲村渠正男

広報雑感 村役場厚生課厚生係長 仲村渠正男
 「広報よみたん」が二〇〇号を迎えるという、まことによろこびにたえないものだ。創刊号発行以来二〇年、よく今日までつづけられたものだ、僕が広報マンであったのは約ニケ年間であった。時には記事を集めることができず欠号させたりし、よく村長におしかりを受けたもので本当に惨たんたるものであった。カメラをかついで広報マンよろしく取材活動に行くものの性来のなまけぐせと文才のなさは、いかんともしがたく原稿締切の日が迫るとイライラし、いっそのこと役場を辞めようかと思う時も何度かあった。
 「広報」は、村政と村民とのパイプ役という事は百も承知しているものだか、いざ発行して見ると、行政中心の宣伝記事になってしまい、全くの一方通行になっている。これでは、村民が見向くはずがなく、読まれもしない。これでは広報なんて発行する意味がないのではと思ったりもした。大体、役所仕事のお固い広報記事なんて読まれる記事としての魅力は最初から欠けている。しかし、何んといっても村民に読んでいただける広報をつくらねばならないもので思案にあけくれるのであった。
 そこで、広報マンの最大限の知恵をしぼって企画するのであるが、悲しいことに、読まれる広報の迫力に欠け、それでも無理だと思いながらも企画をする訳であった。「部落めぐり」、「学校紹介」、「会長さんこんにちは」など思いつき企画をしたものの当然の事がら長続きせず、失敗になってしまった。つぎに広報マン泣かせば日刊紙である。村の行事や事件等は翌日のタイムス、新報で報道されるのでいつも日刊紙の後追だけさせられる。それでも「広報」で知らせねばならない、従って新鮮味がうす
れ、広報発行以前にそのニュースは村民の間には知られている。「広報」は、限られた紙面でより読みやすい文章にしなければならないし、日刊紙と異った視点から取材しなければいけないのだから、これは大変だ。大変だが記事を書かねば仕事にならない。役場の広報担当というのは、別の業務を兼務していながら一人で取材、編集、レイアウト、校正まで一人でやらねばならない。そこで一人三役、四役も兼ねるのであるから時々ヘマをする事もある。特に、誤植、欠落など困ったことがあった。僕の時に村民税金の連続完納の記事の中である部落を見落してしまった。そこでポスから大変なおしかりを受けた事があった。意図的に抜かしたものではないが、受ける側からは、そう簡単には受け取れないようで、特に地域的感情が入り混ると事は重大になり、校正にはよ程慎重にしなければならないものだと痛感させられた。
 ところで、広報マンは苦労の連続ではない。村民との対話をすすめる先端の役を果している重要な職員であるという事を自負している。特に、編集、レイアウトをして印刷にまわし、発行前日ともなればワクワクし通しだ。印刷できあがりのインクのにおいがしみる「広報よみたん」を手に取って見た時、何んとも言えないよろこびを感じるものだ。それは農家が心を込めて育てあげた作物を収穫する時のよろこびとまったく同じで広報マンでしか味わうことのできないよろこびがあるものです。
 「広報よみたん」、それは躍進読谷の象徴である。
 以後、三〇〇号、四〇〇号と村民と村政のパブリックリレーションズとしての役割を果してほしいものです。

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