そんちょう日記 №13 読谷村長山内徳信
新春の一月十九日、現代日本の代表的美術作品であり、二十世紀から二十一世紀へ贈る平和的遺産ともいわれる「原爆の図」の共同製作者である丸木御夫妻の訪問を受けた。丸木位里さん八二歳、丸木俊(トシ)さん七一歳である。案内役は、平良牧師の奥様であった。
私は日本の生んだ偉大な芸術家であり、平和運動家の丸木さんの読谷村への訪問を心から歓迎し、初対面ではあったが、固い固い握手を交わし「ありがとうございます。わざわざ遠い読谷までおいで下さいまして……。」というと、丸木さんは「もっと早く沖縄に来たいと思ったのですが、やっと実現できて。どうしても沖縄を描き遺(のこ)しておきたいと思って、今、佐敷町内で民宿をしております」と、かたわらで奥様の俊さんが、小生の顔をスケッチする為に筆を動かしておられる。
丸木さんは広島の出鼻で、原爆によって大勢の親戚縁者を失った。原爆投下の三日後に東京から広島に入り、この世の姿とは思えない凄惨な状況と累々(るいるい)とした死傷者を見た。その時の体験をもととして、痛ましい事実を後世に伝え、悲惨な戦争が再びくりかえされないことを祈りつつ、夫妻の半生をかけて取り組んできた大作が「原爆の図」である。
夫妻は戦争のない平和な社会を実現するため、世界各地を巡礼し、原爆の図展を開催、その精力的な活躍は国際的にも有名である。
原爆の図の後に、南京大虐殺の図。アウシュビッツの図。水俣(ミナマタ)、原発三里塚の図と描き続け、今回は、沖縄戦の図を描きあげるのが目的である。
二十世紀の人々の犯した過(あや)まちの実態を次ぎ次ぎと描き上げ、これを二十一世紀への遺産として伝える為であろう。
私達は、高齢の丸木脚夫妻のみなぎる平和への情熱と実践から多くのことを学ぶことができた。
丸木光生御夫妻の御長寿、御多幸と御活躍を心から祈念申し上げます。
※写真「丸木夫妻から似顔絵を贈られる山内村長」は原本参照